2011年9月20日火曜日

9.19さよなら原発集会


9.19さよなら原発集会in明治公園に行ってきましたー!
主催者発表約6万人。京都民医連からは約30人、全国の民医連から約1000人。雨を心配してたのですが、生憎なくらいのよいお天気で暑かったです・・・。
とにかくすごい人でメイン会場には入れず、集会の様子はYouTubeで見たというのが正直なところなのですが・・(´∀`;)でもね、久しぶりに数の力ってものを感じました。
大江健三郎サンも言ってたよ。脱原発は決して集団ヒステリーなんかじゃない。「この民主主義の世の中で、私たちにできることは、デモです。しっかりやりましょう」って。そうそう、デモって通行の邪魔する時代遅れなものだけじゃないはず。イヤなものはイヤで、おかしいものはおかしいと声を上げることはまっとーなことで、楽しくてかっこ良くて思わず一緒に声だしたくなっちゃうような。そんなものであっていいはず。ちょっと長いけどYouTubeの映像ぜひ観てみて下さい。36分くらいから福島の方の訴えが映ってます。
「3.11以降私たちは日々苦渋の決断を強いられています。逃げるか逃げないのか。食べるのか食べないのか。洗濯物を外に干すのか干さないのか。子供達を外で遊ばせるのか遊ばせないのか」日常些細な一つ一つに決断を迫られて、でも何を基準に判断したら何を信じたらいいのか分からなくて。想像を絶するつらさとストレスだろうな・・・。

あ、愉快な全国の仲間たちにもいっぱい会えました♪とっても疲れたけど、とっても元気になった一日でした。
さて。明日からまたがんばろー。
署名も集めよー。

2011年8月10日水曜日

★原水爆禁止2011年世界大会in長崎

今年も行って参りました原水禁大会(←個人的には初長崎★)
京都からは諸々合わせて52名の参加。皆さま暑い中お疲れさまでした!
去年は、オバマ大統領のプラハ演説やNPT再検討会議を受けて盛り上がった大会だったけど、今年は東日本大震災、その後の福島原発の惨事を受けて、また独特の盛り上がりをみせた大会になったんじゃないかなと思います。
8月9日の田上長崎市長の平和宣言を読んで改めてそう思いました。
・・「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし選択する時がきています・・

そうそう、この間平和学校で伊藤真氏も言ってたナ。
「平和利用」の場合は「原子力」と言い、恐ろしいものとする時は「核」兵器と言う。どちらも同じものなのに。そのうち「核」の平和利用とだって言い出しかねないよねって。
やっぱり本質を見誤っちゃいけない。あの時長崎で、広島で何が起こったのか事実をきちんと知って考えて、そして行動していかなきゃって、長崎の原爆資料館や戦跡を周りながらそう思いました。
初めて参加した人、何度か参加している人。それぞれどんな感想をもって帰ったのかな。みんなの報告を楽しみにしています!

えーと。こっちの写真は2日目の夜の民医連参加者交流集会デス。
470名くらいの全国の民医連職員がホテルニュー長崎に大集合。
列島リレー・ピーストークっていうのが毎年あるんです。今年のラインナップはちなみにこんなかんじ。京都のみなさま。来年は何か発表狙いますか(笑)??

①長崎「山口仙二氏インタビュービデオ」
石川「反核平和自転車リレー『ぴーちゃり』の取組み」
③岡山「ひだまり9条の会ができるまで」
④福島「フクシマで生きていきたい NO!原発」

最後はみんなでいつものピース・シンキング♫
私は今回初めて知ったんですけど「りぼん」って歌。長崎では有名みたいです。知らんなぁ〜という方、ぜひ一度聴いてみて下さいね。→http://ow.ly/5Zlnk

2011年7月29日金曜日

★原水禁大会壮行会&ぴーちゃり報告会

毎日暑い日が続いてますね・・・。
そう、今年も暑い平和の夏がやってきたわけですョ★

本日県連にて毎年恒例となった京都民医連の原水禁壮行会やりました。今年は5月にやったぴーちゃり&ランの報告会もくっつけてやっちゃいましタ。この日は23名の参加予定者が集まって、一言ずつ決意表明!
例年は参加経験者から報告を入れたりしてたのですが、今年は原水禁大会に行ったら実際にどんなスケジュールで動くのかとか、長崎の紹介とかやってみたのですが皆さまいかがでしたでしょうか??

ぴーちゃりは映像編集が時間と技術の都合で間に合わず・・ゴホゴホ。
とりあえず写真並べて作ってみましタ。よければご覧下さいねー。

2011年6月30日木曜日

第4期平和塾開校!

今年も京都民医連の平和塾が始まりました!今回の受講生は12名。民医連歴はナント2ヶ月から7年まで様々。最初に自己紹介兼ねて参加動機を一言ずつ。「1年目は世の中の動きに目を向ける余裕もないくらい仕事しかできなかったけど、せっかく民医連に入ったんだから今年は!」とか「今年原水禁大会行きますが、行って終わりじゃなくて続けられる活動をしたい」とか「うちの病院ちょっと平和活動が下火になってるので自分が盛り上げていきたい」とかとか。参加した先輩の話を聞いててというコメントも多かったです。さすが4期目。ちょっと積み上げてきた歴史を感じちゃいましタ。

オリエンテーション後は公開講座。
★ 大塚一敏さん「長崎から京都、そして福島へ
研修を兼ねたこともあり参加者は100名ちかくいったみたいです。
何回か被爆体験は聞いてきたけれど、原爆被害と原発被害という語り口は初めて。たぶんみんなも初めて。
(以下、私のメモからなので若干あやふやなところもありますがご容赦を・・)
原爆とは、爆発に伴い大量の放射性物質を発生させ、およそ1〜2km範囲内の生物に生命の危険を及ぼすものであり、通常の爆弾とは異なる大量殺人兵器として実用化されたものであり、それに対する防御手段は存在しない。原発とはその最後の爆発を制御する制御棒を有する発電装置である。つきつめればその違いに過ぎないのではないかと。
最近、原発はそもそも軍事目的に実用化されたもので安全なんて二の次なものだって言う話はよく聞きます。大量殺人を目的にスタートしたものがどこをどう押したら安全神話になっちゃたのかな・・・。

話は大塚さん自身の被爆体験へ続きます。
8月9日のあの瞬間。一緒にいた友達をおいて逃げた、自分だけが助かってしまったという思いが未だに消えないこと。「壊疽性鼻炎」という奇病で入院してたった一週間で、30歳という若さで亡くなった弟さんの話。そして長崎で初めて被爆二世の死として、日本中に衝撃を与えた甥御さんの話。
大塚さんの感情を抑えた語り口は却って胸に迫るものがありました。でも一人ひとりの死を嘆き、悲しむ以上に強く感じたのが、何て言うんだろう。怒りと言っていいのかな・・・。
当時、被爆による外傷は明白だったけど、内部被爆の仕組みなんて誰も分からなかった。それをいいことに、半年たって原爆で死ぬべき人間はもう死んだと言い、アメリカ側は集めた証拠をすべて持ち帰り、原爆に関連する発言も禁止した。国内でも科学者は原爆被害は半年程度で治癒すると発言することを強制され、拒否すれば免職へ追い込まれた。それにより、被爆者に対する正しい知識は得られず、「ぶらぶら病」といった偏見だけが植え付けられたと。
その傾向ってぜったい今も続いている気がしてしまいます・・。

甥御さんの死を報じた当時の新聞記事も資料として配られました。そこにあったドクターの言葉がとっても力強かったです。
・・T君の病気が被爆の影響を受けたものかどうかはわからない。しかし担当医のH医長は「放射能障害の遺伝的影響が絶対にない、と証明されるまで、国は被爆二世に医療保護をするべきだ」という・・

被爆者は人間として死ぬことも、生きることも許されなかった。8月9日は生き残った被爆者にとっては被爆の始まりの日でもあった。
大塚さんは最後に、乳癌で亡くなったというお母さんの言葉を紹介してくれました。
「自分の意思で決めなさい。そして間違いのない生き方をしなさい」
ただ一度の人生を、いったい何のために生きるのか。今実際に何が起こっているのかをしっかりと把握し、その上で自分たちは何を成すべきなのかを考えながら生きていってほしい。

温かくも、ずっしりと重い大塚さんからのメッセージでした。
以上、随分長くなってしまいましたが開校式の報告でした。さんざん好きに書いたけど、ちゃんと映像も撮ってあるのでご希望の方は、県連までどうぞー♬

2011年6月21日火曜日

2011国民平和大行進

毎日蒸し暑い日が続きますね。
そんなとてもとても蒸し暑い雨上がりの午後( ´Д`;)
長崎へ向けた2011国民平和大行進滋賀からの引き継ぎ京都入り!に参加してきました。2年ぶり、いや3年ぶりかな・・?最近は男性陣に押しつけてばっかりでしたが、久しぶりに自分で歩いて平和の夏を実感。
今年もやってきましたねこの季節☆
270人か。もっといっぱいいたような気もしたけれど(→記事はコチラ

★市内網の目行進は7月9日(土)★
我らが北区は上賀茂神社からスタートです。皆さまの行政区はどこから歩くのかな。ここから原水禁大会へ向けて企画が目白押し。というわけで皆さま。市役所で、そして長崎でお会いしませう。

2011年6月4日土曜日

第4期平和塾記念講演のお知らせ

あっという間に4期目を迎えた平和塾。
昨年は沖縄社保協事務局長の新垣さんに講師をお願いしましたが、今年もすごいですよー。長崎で被爆の語り部をされている大塚一敏さんという方を講師に迎えての開講記念講演です。
★2011年6月30日(木) 14:30〜16:30
☆教文センター103号
★講師:大塚一敏さん
「長崎から京都、そして福島へ 私たちは微力だが無力ではない!」

・・若いみなさんに、話をきいてもらうことは、被爆の実相が次の世代に継承されることを信じることだし、被爆者に生きる希望をあたえるものです・・→つづきはコチラ

大塚さんは福島原発を踏まえて被爆者としての新たな決意を、残った人生と生命をかけて京都で私たちに話したいとおっしゃってくれたそうです。よく言われるけど、私たちの世代が被爆者から直接体験を聞ける最後の世代だって。大塚さんがどんな思いで今回京都に来てくれるのか、どんな思いで私たちに語ってくれるのか。自分なりに心して聞きにいこうと思っています。勤務の都合でなかなか難しいかとは思いますが、興味がある方はぜひぜひご参加下さい。席に限りがあるので一応事前申し込み制になっています。各事業所にお知らせは回っていると思いますので、ちょっと事務長さんにでも聞いてみて下さいね。

2011年5月29日日曜日

★2011ぴーちゃり&ピースランin京都のご報告★

あっという間にぴーちゃり&ピースランから一週間もたってしまいました。皆さまその後体調はいかがですか(笑)?
大変遅くなりましたが簡単にご報告です。

★1日目(5/21)
土曜日の朝7:30集合、8:00スタートという設定にもかかわらず、出勤前やお休みの人までたくさんの人がお見送りにきてくれました。応援&差し入れありがとうございました。取材カメラに多少たじたじしつつ・・みんなで元気にスタート!
2日目は大雨に泣かされましたが、1日目はホントに暑いくらいの爽やかなお天気でした。老の坂まではランナーズと自転車隊スピードをそろえて、音楽流してアナウンスもしながら♪
背中に9を背負ったオレンジのTシャツ集団は結構目立っていたらしく、Twitterで告知したせいもあってか、何人かの知り合いから見かけたョメールも届きました。私たちの平和のアピールが少しでも誰かに届いてたら嬉しいな。

途中、亀岡のアルプラザ前で核兵器廃絶の署名、沖縄高江のヘリパッド建設に反対する署名を使っての宣伝行動を行いました。返信用封筒をつけた署名用紙を配ったり、参加者から平和アピールも。4年前、沖縄で同じようにぴーちゃりに参加してきたこと、辺野古の行動に参加してきたこと、平和塾などを通して自分なりに平和について学んできたこと。慣れないマイクを握ってみんなちょっと緊張しながら。
本気チャリのペダルを止めて、話しかけてきてくれたおじさまもいたみたいです。「私たちは京都民医連の職員です!」のアナウンスに畑の中から手を振ってくれる人にも何人も出会いました。

観音峠はみんな赤い顔してペダルをこいでたし、道中は2台も自転車がパンクしたし、もう着いた!と思ってから意外に協立病院が遠かったし・・色々イロイロあったけど、ゴールした時のみんなの「やってやったゼ」という顔はとってもかっちょよかったです。
自転車チームは京都協立病院到着後、冷たい飲み物をいただいて、しばし感想交流。1時間半ほど遅れて到着したランナーズを綾部駅にて出迎えて、みんなで駅前の銭湯で汗を流しました。そして夜の焼き肉交流会へと続いたわけです・・・(笑)
「仲間がいたからがんばれた」「みんなが集まればこんなに笑顔になれるんだと思った」「事業所をこえて取り組めるそれが民医連ってことなのかもしれないけど、やっぱりスゴイと思った」などなど。個人的に一番嬉しかった感想は「単純に楽しかったし、また参加したいと思った」かな。だって楽しくなければ続かない、が私たちのモットーだもんね。

★2日目(5/22)
実行委員は5時過ぎに起床。誰だ前の晩遅くまで騒いでたのは・・と悪態つきながら(笑)
おにぎりとお味噌汁で朝ご飯。8時に外に出てさぁランナーズのお見送りってとこまでは良かったのです。が、その次の瞬間ザーザーの雨が降ってきて・・。せめてスタートしてからじゃなくて良かったと思うしかない雨でしタ。
仕方なく、予定を少し繰り上げ、舞鶴引揚げ記念館→自衛隊基地見学をして無事京都市内に戻ってきました。(←このあたりは残念な気持ちが強すぎて報告にもちっとも気合いが入りません。誰か補足しといてー)
2日目は、天候と、それに対する準備不足もあって皆を不完全燃焼で終わらせてしまった点、本当に心苦しく思っています。それだけが心残りですが、アンケートではまた参加したい!という声ばかりで・・。きっとやろうねリベンジ企画!!

最後に。平和でなければ私たちの提供したい医療や介護は行えないということ。そして今平和であるのは、決してあたり前のことではないということ。
私たちがうけとった平和というバトンを、私たちなりのやり方で引き継ぎ、そして次の世代に渡していくために、たくさんの人を巻き込んで、来年もその次も色々なかたちで走り続けられたらステキだなと思っています。参加者のみなさま。支えてくれたみなさま。本当にみんな大好きです。ありがとう♥

2011年5月24日火曜日

★2011ぴーちゃり&ピースランin京都★

参加者のべ46名。京都縦断という初の試み。
結果的には雨で2日目の走る行程は断念しましたが、とにもかくにも無事終了いたしました。参加していただいたみなさま、陰に日向に支えていただいたみなさまに心からの感謝を・・。

写真も映像も手元に届いたのでちょっとづつまとめをつくろうかなと思いつつ、とりあえず民報webが紹介してくれてるのでご紹介♪
あ、参加者のみなさま感想文をお待ちしてます(笑)


2011年5月19日木曜日

後1日!

温めに温めてきた京都縦断ぴーちゃり。

ぴーすランナーズをひきつれて、とうとう始まります。

当初は20名程度だろうなぁとか思ってた参加者が、いろんな人を含め、
総勢46名。
倍以上に膨れ上がりました。

各方面からの協力等、本当に感謝しています。

準備出来得るかぎりのことはしたと思います。
でも、アクシデントはどんなイベントにもつき物。
それを楽しみに変えて、このイベントを成功させましょう。

最後は、誰かが泣くでしょう(^_-)

2011年5月14日土曜日

いざぴーちゃり!

何だか本当にあっという間でしたが、ついに来週が2011ぴーちゃり&ピースランin京都の本番です!!

最後の最後でバーベキューがNGになって夕ご飯どうしよう・・(>_<)
とも思いましたが、協立病院の方の手助けもあり、なんとかなりそうです。。。13日の金曜日に本番前ラストの実行委員会を終え、最後に下見に行ってきました。女子3人優雅にドライブ。美味しいお蕎麦と丹波の黒豆ソフトを食べに行った訳じゃなくて、決して丹波ワインを仕入れに行った訳でもなくて、なんていうかイメージトレーニング?みんながぎゅうぎゅうに泊まるお宿の掃除もちゃんとしてきましたのでご安心下さいませ。え、カメムシの死骸なんてなかったから大丈夫だヨ(笑)

亀岡ガレリアの手前、アルプラザというスーパー前で核兵器廃絶新☆国際署名の署名宣伝やることにしたのでちょっとだけコース変更しました。
★1日目:7:30太子道診療所集合→8:00出発
①大使道診療所→老の坂ローソン
老の坂ローソン→アルプラザ
 署名宣伝
③アルプラザ→JR園部駅
JR園部駅→丹波マーケス
 ランチタイム
丹波マーケス→和知 道の駅
和知 道の駅→協立病院
★2日目:ランナーズ8:00出発、ぴーちゃり9:00出発
⑦協立病院→ローソン真倉店
ローソン真倉店→JR西舞鶴駅
 署名宣伝(ランナーズと合流)
JR西舞鶴駅→舞鶴協立診療所でゴール!!→後、舞鶴見学

というかんじです。というかんじなのですが、さてどうなることやら。久しぶりに片手間じゃなく力を入れて約半年間準備してきた企画デス。これが無事終わったら泣くかなー?と帰りの縦貫渋滞中、ひたむきに練習に励む成章高校野球部を眺めながらぼんやり考えてみたり(笑)
みなさま、心の準備はOKですか??
前日は早めに寝て万全の体調で当日お会いしましょう!

2011年5月3日火曜日

5・3憲法集会

今年の5・3憲法集会は京都会館で行われました。

大盛況で、遅れて行った私は立ち見すら諦めてしまいました・・・。

入り口のロビーで購入した「九条酒」が唯一の集会に参加した証。
「九条酒」は京都縦断ぴーちゃりで振舞います(*^_^*)


「九条酒」を買ったところで「3・11を想う」という冊子をいただきました。

3月11日。東北を襲った未曾有の災害。
まだまだテレビに映る被災地は、地震、津波の爪あとが生々しい。
そして原発。
日本はこれから、原発に頼らないエネルギーを作り出していくことが必要なのでは。

憲法集会で講演された梅原猛さんの毎日新聞に載ったインタビューが「3・11を想う」に転載されていました。

「われわれ人類が原発なしでいかに生きていけるか、それが問われる事態になった。目をそらしてはいけない。やっぱり太陽光しかない。国は開発にももっと金を出しておくべきだったなあ。たしか原発依存率は日本は3割、るランスは8割でしたね。いまkらでも遅くはない。石油もいずれは底を突く。電気もガスもなかった江戸時代の人間が、現代の人間より不幸だったか?むやみにエネルギーを使わない文明を考えないとあかんなぁ」
(中略)
「原発反対は、もうひとつ強く叫べなかったんですよ。私が初代所長を務めた国際日本文化研究センターに関連する財団が設立されたとき、当時の関電社長に理事長になっていただいたり、東電の社長とも親しかったのでね。多少、遠慮したんです。それを後悔してるんです」

「もっときっぱり「反原発」の畑を高く掲げるべきだった」

と新聞のインタビューに答えておられます。


毎日、使う電気。
少しでも節電ができないだろうか。
一戸一戸の家の屋根に太陽光発電を備え付けられないだろうか。
国が原発にかけるお金を太陽光発電のソーラーパネルを備え付ける資金に運用できないだろうか。
地方に原発という大きな爆弾を押し付けていないだろうか。
自然にないものを作るだけ作って、浄化せずにほったらかしにしておいていいのか。
それはゆくゆくは自分たちの首を絞めることになるのに。
核からどれだけエネルギーを効率よく取り出せるかという研究よりも太陽光をどれだけ効率よくエネルギーに転換できるかを研究しよう。
原発に頼らなくても大丈夫。
原発によって雇用もあるだろうけど、原発しかないわけじゃない。

後悔はいつでもずっとずっとついて回る。今、「反原発」を掲げないと本当に後悔するのでは。
これ以上、住む場所を追われないようにするために。

2011年4月22日金曜日

第五福竜丸展示館

全日本民医連の反核平和委員会という会議に参加してきました。この会議に行かせてもらえるようになって早一年。民医連という組織のスケールの大きさを垣間見つつ、腹筋が痛くなるほど笑い合える友達もあっちこっちに増えました。この楽しさ、どうしたらもっと伝わるかな??

今回は会議の前にちょっと夢の島まで足をのばして第五福竜丸展示館へ行ってきました。どうしたってレセ期間中で参加できないビキニ大会の代わりに(笑)
水爆実験と、原子力発電所の事故。
状況は違うけど、タイムリーな時に行けてよかったです。同じ展示をみても震災の前だったら感じたことも考えたこともちょっと違ったかもしれない・・。
57年前、海に流れた放射能は、食物連鎖を通じて生物濃縮を起こすってことも証明されていたのに、マスコミ科学者もまるで初めて遭遇した事態かのように振る舞っている。何なんだろうこの状況は。長居をしてすっかり仲良くなった学芸員サンの言。
私は知らなくてびっくりしたんだけど、この第五福竜丸はその後練習船として10年間使われた後、夢の島の廃船場に捨てられていたんだって。ある新聞の投書をきっかけに保存運動が広がり、当時の美濃部都知事が保存に踏み切ったらしい。

・・第五福竜丸。それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。決して忘れてはいけないあかし。知らない人にはそっと告げよう。忘れかけている人にはそっと思い起こさせよう・・

入り口のパネルにその投書のことばが掲げられていました。
人間って意図して、そして意図しなくても大切なことを忘れていってしまう生き物なのかもしれない。声に出さないと目の前にあっても気づかずに過ごしちゃうのかもしれない。こういう保存運動や色々イロイロな活動を地道に地道に続けて行くことの大切さをしみじみと感じた一日でした。
いくつか資料も買ってきました。あと学芸員サンがパネルの貸し出しもしてるし、講師依頼があればどこへでもいきますって。奈良の土庫病院にも行ったらしいですよー。また京都でもそんな学習企画ができたらいいな。

2011年4月17日日曜日

下見行って参りました。

絶好の下見日和♪
5人で元気に舞鶴まで行ってきました。

協立病院まで約80km、舞鶴の協立診療所までがさらに30km長い道のりでした。が、結構行けるかもとも思っちゃった。約1名はナント太子道診療所から協立病院まで通しで自転車で行っちゃったんです。
←の写真がおそらく最大の難所観音峠。ここから一気に上のトンネルまで登ります。そしてトンネルを抜ければ爽快な下り坂が待ってます。北部は今が桜の満開でとってもキレイでした。

コースは1日目を6コース、2日目を2コースに決めました。
①太子道診療所→老の坂ローソン
老の坂ローソン→ガレリア亀岡(6.7km)
ガレリア亀岡→JR園部駅(13km)
JR園部駅→丹波マーケス(7km)
丹波マーケス→道の駅「和」(15km
道の駅「和」→協立病院(17km)

協立病院→途中のローソン
②ローソン→舞鶴協立診療所

観音峠すら越えてしまえばあとは比較的なだらかなアップダウン。とはいえ実際に自転車こいだ人によれば、一気に登って下るよりなだらかに続く登りの方がつらいんだとか。私は一日たっぷり運転したのでコースも把握したし、体力ないし、当日の先導をつとめさせていただきますワ(笑)
今日の下見で分かったこと、参加者に伝えないといけない注意点などもはっきりしてきたところで、臨時の実行委員会でもやらなくちゃと思ってます。4/26(火)あたりにやれたらいいな。だって本番まであとたったの1ヶ月となりました。このままいっちょ走り抜けますか♪♪

2011年4月16日土曜日

★第4回ぴーちゃり実行委員会

ぴーちゃり実行委員会やりましたよー。
初参加の人が3人(あれ4人だったかな・・)も参加してくれて楽しくわいわいやりました。
自転車の平均時速ってどれくらいかご存知ですか?ママチャリで市内で15km/h、本気チャリなら30km/hくらいでるんだって。北大路から御池で息切れしてる私にはまったくもって未知の世界です(´∀`*)
現時点で参加者34名(うちランナーズが11人)、自転車9台。交替&休憩ポイントはどうする?お昼はどこで?地図を片手にいっぱい考えました。

そして本日のメインイベント。自転車の正しい乗り方教室!
小学生時代から趣味は自転車♫
という達人に教えてもらいました。
サドルはめんどうでも乗る人の高さにちゃんと合わせること。ギアは負荷がかかるかかからない程度に。
ふむふむ。

初めての長距離ぴーちゃり。まだまだどうなることやら不安もいっぱいですが、明日最終下見に行って色々決めて参ります。あ、もうこんな時間。明日起きれるかな・・。



2011年4月1日金曜日

★新入職員研修

110名の新入職員のみなサマ、民医連へようこそ。
長い研修お疲れさまでした。明日も各ブロックで研修かな。

民医連ってたぶんきっと私たちが思っている以上に懐の深い、幅のひろーい組織だと思います。私もまだまだ発掘中(笑)一緒に民医連ライフを満喫していきましょ


そういえば、今日はりきって春もの着てったら帰りのバイクが泣きそうなほど寒かった・・。

2011年3月31日木曜日

明日から4月

そう新年度。
そして明日はいっせい地方選挙の公示日。

今日仕事から帰ったら、ポストに選挙管理委員会からお手紙が来ていました。いよいよだね。
なんでこのブログで突然センキョの話をしてるのかと言うと・・
私たちの大切な友達、民医連の仲間が今回のセンキョに立候補するのです。彼の名前は中村さとるくん。25歳の上京病院の看護師です。最初に立候補をするって聞いた時、周りの多くの人と同じように、私もまだ早い、今でなくてもって思いました。でもね、彼の決意は固かった。若者が困っているのは4年後でも8年後でもなくて今なんですって。私、彼の立候補表明演説聞いたとき、ちょっと感動しちゃった。ナイショだけど(笑)
最初は演説聞くのも自分が話してるかのように気恥ずかしかったけど、なかなかどうして最近の演説っぷりは大したものなのです♫
京都市上京区ご在住のみなさま。
4月3日(sun)13:30ヨリ乾隆小学校にて演説会もあります。
ぜひ一度さとるくんの話を聞いてみて下さいね。

服を選び、靴を選ぶ。
センキョのことを考える。
いつもの生活を選びとるように、
私たちの暮らしを選びとろう。
選ぶことはいいことだ。
自分のために 未来のために 今晩のご飯のように。

懐かしい人にはなつかしい、成宮プロジェクトの私のお気に入りのフレーズです。
あ、さとるくんのブログも紹介しておきます。
公示後は更新できないけれど、応援メーッセージでも書き込んであげて下さいな。

私たちの京都の未来を選ぶ日は4月10日の日曜日です。

2011年3月12日土曜日

3.1独立運動92周年 日・朝・韓の友好・連帯を考える京都のつどいのご報告


何だか、何をしていても地震のことが気になってしまいます。京都・滋賀民医連からの第一次支援隊も本日20時、京都を出発したとのこと。とりあえず、私は私にできることをするしかないので、いただいた報告をアップします・・。

3.1独立運動92周年
日・朝・韓の友好・連帯を考える京都のつどい
主催:日朝協会京都府連合会

2011/03/06
京都アスニーにて、開催され、京都民医連平和塾の取り組みを紹介しました。きっかけは第3期平和塾の企画に韓国事前学習の講師に日朝協会京都府連合会の大橋満氏をお願いした事でした。塾生達の積極的な学ぶ姿勢に大変好意をもたれ、民医連の青年が積極的に平和学習をしている事を大変喜ばれ、日朝協会の取り組みが有るときには是非、参加や取り組みの発表をして欲しいと言われていました。

京都民医連からは、原田専務、藤村事務局員、3期平和塾4

何故京都民医連が平和塾に取り組んだかの導入部分を藤村が発表し、資料と共に平和塾に参加して青年が取り組みを発表しました。会場からも大きな連帯の拍手がわきおこりました。

民報Webでは 『京都民医連・平和塾の青年が韓国を訪問し、現在の韓国を見てきたままの報告が5人のかたからありました。韓国の青年は、昔の歴史はしっかり勉強するが、日本の青年とこれからどうしてアジアの平和を築くのか、お互いに考えよう、と言われ感動したと話されました。』このように紹介されました。

2011年2月27日日曜日

★お知らせ

昨年、平和塾韓国研修の事前学習で講師をお願いした日朝協会の方から、ぜひ報告を聞かせてほしいとご招待がありました。というわけで平和塾3期生がいよいよ外部発表します!
色々日程は重なっていますが、是非ご参加下さいね。

3 .1独立運動92周年

日・朝・韓の友好・連帯を考える京都のつどい

時:3月6日(日)午後1:30~4:30  
会場:京都アスニー 3F第3研修室
(丸太町通七本松西入ル。市バス「丸太町七本松」または「京都アスニー前」下車)
講演:「韓国伝統芸能文化(仮面劇)に出会って」余江勝彦さん
報告:① 韓国を訪問して(京都民医連、平和塾の取組)
報告:②「慰安婦」問題の早期解決をめざして
講演:「日・朝・韓の友好・連帯をめざして ・・
    講師=勝村誠(立命館大学教授)
参加費 :500円

主催=日朝協会京都府連合会
後援=韓国「併合」100年を考える京都の会

2011年2月22日火曜日

第2回 ピーチャリ実行委員会

着々とピーチャリの準備が進んでいますよ。

京都縦断ぴーちゃりは

2011年5月21日(土)~22日(日)
の二日間。

京都市内から途中綾部で泊まって、舞鶴まで駆け抜ける予定です。
舞鶴まで役100キロあるので、基本的に本気チャリで走りたいですが、
ママチャリでチャレンジする!という剛毅な人も基本的にはお断りしません(笑)

ランナーずもリレー形式で走るらしいです。
チャリンコ隊も交代制ですが、最初から最後まで走る!という方も大歓迎。

チャリンコ隊、ランナーず、並走車の運転、宣伝隊、炊き出し、見送り隊、お出迎え隊、
帰りの車の運転隊、それぞれ鋭意募集中です。

アイデアも募集しています。こんな風にしたら楽しいんとちゃう?とかありましたら、
どんどん、教えてください。

後は、資金!カンパも随意、募集しています。

京都縦断のぴーちゃりは初めての試み。
全国各地でぴーちゃりが大流行ですが、京都も細々としていました。
今年は、市内病院構想なるものがあり、病院の病床集中化による診療所への変換、
などがあり、一部の人間は所属病院最後のぴーちゃりの取組みとなります。
人一倍思い入れが深くなっている模様(笑)。

たくさんの人を巻き込んで、絶対に成功させましょうね。

2011年2月18日金曜日

SLAPP裁判

SLAPP裁判って聞いたことありますか?
SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation:恫喝訴訟)は、訴訟の形態の一つで、原告が判決そのものの勝訴ではなく被告に対するいやがらせを主な目的とした訴訟。経済的に力のある団体が原告となり、対抗勢力を被告として恫喝的に行うことが多い。被告となった反対勢力は法廷準備費用・時間的拘束等の負担を強いられるため、仮に原告が敗訴しても、主目的となるいやがらせは達成されることになる。そのため、原告よりも経済的に力の劣る個人が標的にされやすい。表現の自由を揺るがす行為として欧米を中心に問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。wikipediaより

沖縄の高江、山口の祝島で行われているのがまさにこれ。
昨日ツイッターで、高江のことでも独自の取材を続けている琉球朝日放送の映像(コチラ)が紹介されてました。高江のヘリパッド反対運動についてももっと知っていかなくちゃと思うけど、「国が住民を訴えた」考えれば考えるほど国は卑劣な手段を使っているということ、その意味をもっともっとたくさんの人に知ってもらわないといけないんじゃないかなと思います。だってこんな大人げないこと、誰も見ていないからやっているとしか思えない。
3月になれば、絶滅が危惧されているノグチゲラの繁殖期に入るため6月までは工事を中止すると国も約束してるいるそうです。3月まで時間がないからか、日々高江で繰り返されている状況をせめてこのブログにアップしていこうと思います。

こちらもぜひ。

2011年2月11日金曜日

同窓会!

ピースアクションsince2005の立ち上げの懐かしいメンバーが懐かしいお店に大集合♪
いや、ホントに楽しい夜でした。個人的には民医連に就職して正解だったよなァと改めて感じた夜でした。いつの間にか次世代が3人、4人!フフフ。将来が楽しみです。

それとこれはマジメなお知らせです。
ぴーちゃりの日程を諸事情により変更させていただきます。
5/21(土)〜22(日)でやります。みなさま、手帳のスケジュール訂正をお願いします。

2011年1月26日水曜日

いざ、ぴーちゃり♫

先週の金曜日、人数は少ないながらぴーちゃり実行委員会をやりました。ちゃんとお好み焼きも食べました(^−^*)でね、ぴーちゃりの日程を勝手に決めちゃいましたョ。
5月14日(土)〜15日(日)です。
というわけで皆さま手帳に書いておいて下さいね&勤務希望をお忘れなく♫
京都民医連新聞、共済会たより、民医労の機関誌にそれぞれ宣伝の掲載をお願いしました。記事を見かけたらどんどん周りの人に宣伝お願いします!それと次回からは毎月第3金曜日をピースアクションの定例会議兼ぴーちゃり実行委員会にしていきたいと思っています。会場はたくさんの人に参加してもらえそうなところを考えてまたMLでお知らせ流します。

それと、民医連医療2月号に二宮厚美教授が載ってるんだけど、もう読みましたか?これはかなりおススメです。私は、これ暗記できたらいいのにナとか思いながら2回も読んじゃった。ちなみに生で二宮教授のお話が聞きたい方は2月19日(土)14時ラボール2Fホールへどうぞ。研修だけどオープン企画になったので誰でも参加OKです。

2011年1月8日土曜日

祝☆第3期平和塾卒業

新春のつどいにて第3期平和塾の卒業制作発表&卒業式が行われました。
あの状況で韓国に行く行かないの判断など、色々難しいこともあったけれど3期生が築いた絆の深さにちょっと感動してしまいました。新春のつどいやその後の打ち上げで聞いたみんなの感想をご紹介します。

・誰が主体の憲法なのか。医療従事者として、憲法を守ることと、命を守ることは同義であるということを学びました。
・自分が結構熱い人間であることを再発見。俺って実は民医連好きだったのかと(笑)
・戦争がない=平和ではない。例えば貧困という状態だって平和ではない。平和について深く学ぶことができてよかった。この先を生きていく力になる学びだった。
・ハルモニたちに会えたこと。日本人には絶対会いたくないという人も、未だに体験を語れない人だってたくさんいる。私たちも、問題が大きすぎて重すぎて、最初は何を聞いたらいいのか、何を話したらいいのかほんとに分からなかった。でも涙を浮かべながらたくさん話して聞いてくれた。この学びを伝えていきたい。
・日本という内側からだけ見るだけでなく、外側や色々な角度から見ることの大切さを学んだ。それって患者さんと接するときだって同じことが言えるのかも・・・。
・もっともっと色々なことを見て聞いて学びたい。まだまだ欲求不満です!
・いっぱい期待して参加したけど、期待以上だった!自分がここで学んで感じたことを職場や患者さんにも伝えていくことが、学ばせてもらった恩返しだと思う。これからもこの企画が続いてほしい。
・1期生の先輩の話を聞いていたのですぐに行きます!って返事しました。こういう継続的な学びの機会はなかなかありそうで今までなかった。ここでできた仲間を大切にしていきたい。
・人見知りだし、最初は正直・・・だった。でもだんだんみんなと仲良くなるにつれて学びたい!という意欲もアップしてきた。半年間楽しく平和について学ぶことができてすごくよかった。
・自分の子供が生まれたこともあって、この平和を、平和の学びを次の世代にも伝えていかなくては、ということを改めて考えた。

最後に体調不良の塾長に代わって会長の締めの言葉を。
「この世代で培った仲間は一生頼りになるものです。学ぶことは一人では難しい。だからこそ皆で学んでいってほしい。民医連にとって医療も平和もどちらもオプションではないのです」

3期生のみなさま、半年間本当にお疲れさまでした。これからも一緒に楽しく学んでつながっていこうね。