2011年4月22日金曜日

第五福竜丸展示館

全日本民医連の反核平和委員会という会議に参加してきました。この会議に行かせてもらえるようになって早一年。民医連という組織のスケールの大きさを垣間見つつ、腹筋が痛くなるほど笑い合える友達もあっちこっちに増えました。この楽しさ、どうしたらもっと伝わるかな??

今回は会議の前にちょっと夢の島まで足をのばして第五福竜丸展示館へ行ってきました。どうしたってレセ期間中で参加できないビキニ大会の代わりに(笑)
水爆実験と、原子力発電所の事故。
状況は違うけど、タイムリーな時に行けてよかったです。同じ展示をみても震災の前だったら感じたことも考えたこともちょっと違ったかもしれない・・。
57年前、海に流れた放射能は、食物連鎖を通じて生物濃縮を起こすってことも証明されていたのに、マスコミ科学者もまるで初めて遭遇した事態かのように振る舞っている。何なんだろうこの状況は。長居をしてすっかり仲良くなった学芸員サンの言。
私は知らなくてびっくりしたんだけど、この第五福竜丸はその後練習船として10年間使われた後、夢の島の廃船場に捨てられていたんだって。ある新聞の投書をきっかけに保存運動が広がり、当時の美濃部都知事が保存に踏み切ったらしい。

・・第五福竜丸。それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。決して忘れてはいけないあかし。知らない人にはそっと告げよう。忘れかけている人にはそっと思い起こさせよう・・

入り口のパネルにその投書のことばが掲げられていました。
人間って意図して、そして意図しなくても大切なことを忘れていってしまう生き物なのかもしれない。声に出さないと目の前にあっても気づかずに過ごしちゃうのかもしれない。こういう保存運動や色々イロイロな活動を地道に地道に続けて行くことの大切さをしみじみと感じた一日でした。
いくつか資料も買ってきました。あと学芸員サンがパネルの貸し出しもしてるし、講師依頼があればどこへでもいきますって。奈良の土庫病院にも行ったらしいですよー。また京都でもそんな学習企画ができたらいいな。

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