2008年12月20日土曜日

12月の定例会議をしました

12月19日(金)に定例会議を行いました。

メンバーは6人。今日は女性ばかりで、ちょっと女子高のような雰囲気が漂っていました(笑)
(年齢が違うか・・・^^;)

メインは11月に行ったピーチャリの報告作り。

これまではニュースをパソコンで作ったりしていたけど、「みんなで作ろう」ということで、模造紙2枚をつかった力作になりました。

「1時間くらいでチャチャッと作ろう!」と始めたはずが、こだわりにこだわって、完成したのはなんと11時半!
途中で宅配ピザをかじりつつ、がんばりました。
出来た時には、なんともいえない達成感・・・。

ぜひみてらもいたいものです。
1月にデビューさせて平和企画などで掲示してもらうつもりです(^_^)v

2008年12月7日日曜日

「フィリピン戦の実相を語る」に参加して

昨日、京都アスニーで「フィリピン戦の実相を語る」に参加してきました。参加者は120人を超えました。参加者の中には、戦争に行かされた人や、父親が戦死しというひとなどでした。一方で「伝承すべき」私たちの世代は、ほとんどいなかったです。

まずフィリピン戦には、中国を侵略した京都の第16師団も16000人が入りました。元日本兵の証言は「ジャングル戦で、赤痢になったりして、栄養失調になるぐらい悲惨だった」という人や、宣伝部隊として、画家や小説家、マスコミまで軍の命令で徴用されていたことなど、驚くことばかりでした。

次に「フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージプロジェクト」をしているNPO法人『BRIDGE FOR PEACE』代表の神直子さんから、元日本兵たちとフィリピンの遺族の方々の証言がビデオで流れました。ビデオでは、5人ぐらいの元日本兵の人たちとフィリピンの遺族の方々が出てきます。そこには日本の加害の事実を生々しく証言していました。覚えている範囲で紹介します。「現地の教会に行ったとき、女性が出てきました。上官は『刺せ』と部下に命令しました。でも部下はブルブル震えて銃剣を刺せず、上官は『手本を見せてやれ!』と私に命令を出しました。私は刺しました。刺したところから血が噴き出し、女性は天を掴むようにして倒れました」「天皇、軍の命令で強制的にフィリピンに連れて行かれ、戦場では誰が『住民』で誰が『スパイ』かわからないまま、目の前の人を殺していた」「子供を抱いている女性に子供を離させて強姦した」など、フィリピン戦に動員された元日本兵は、加害の事実を、実名、顔出しで話していました。でも60年以上たった今でも「悔やまれる」「反省している」と、心に罪悪感はまだまだ重く残っているようでした。

そういった証言を紙直子さんは、フィリピンの遺族に映像を見せて「誰が悪いのか?」ということでなく、加害と被害の事実、お互いの証言を理解してほしいと言われていました。また若い世代による戦争体験の継承を目指していると。

元日本兵が証言したビデオを翻訳してフィリピンの遺族に見せるシーンがありました。それを見た遺族の方々は「新婚1年目に夫を『スパイ』だと日本兵に連れ去られ、行方不明になった」「裕福だった父を失い、その親族から見放され、母親を支援してくれる人もなく、戦後はずっと貧乏だった」という現状や、一方で父親と兄弟を失った男性は「逆の立場だったら私も同じことをしたかも知れない・・・。」という意見もありました。

最後に、元日本兵が口を揃えて言うのが「戦争が残酷なこと。『聖戦』なんてない。」さらに「それを知らない世代が、憲法を変えようとしている。戦争が1日でも起これば必ず人が死ぬのだということをわかってほしい」と語っていました。被害の事実だけでなく、加害の事実も含めて、後世に伝承しないといけないのが私たちの世代だと改めて思いました。また来年1月の会議で資料等を紹介します。

2008年11月30日日曜日

旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国集会

今日、ひとまち交流館で行われた講演会に参加してきました。

今日の講演会では、台湾から被害女性であるウ・シュウメイさん(92歳)が

涙ながらに証言をしてくださいました。



ウ・シュウメイさん(アマー)は、19歳で旅館で仲居券接客係として
義母に売り渡されました。
そして、23歳の時に家の近くのホテルのオーナーで元警察官だった人に、
「今よりもっと楽な仕事をしないか?」などと騙され強制的に前線の「
慰安婦」として連れていかれたそうです。出発前に裸にされ、軍医に検査され、
合格し1日に多い時で20名を超える兵隊の相手をさせられたと…。
そして、乱暴な兵士が嫌で逆らうと、「殺すぞ」と脅され、殴られたと涙で声を
震わせながら語ってくださいました。
また、拒否した時に、「私は、お国の為に働いているんだからサービスしろ」とまで
言われたそうです。
アマーは、戦後に二回結婚をしたのですが、堕胎で傷ついた身体で子供が産めずに夫は、
彼女に冷たくあたったそうです。
アマーの涙ながらの勇気ある証言に、聴いている私達も涙がでました。

アマーは、
「日本政府はどうして、した事を認めないのか!?
人生が台無しになりました。身体も傷だらけです。
死ぬまでに謝罪と賠償をしてほしい。
日本政府が忘れても、私の身体が証拠です」
と語られ、私達に訴えていました。

私は、平和塾の韓国ツアーでナヌムの家に行きましたが、実際に証言を聞く
事ができなかったので、今回の講演会で韓国での学んだ事がよりリアルに伝わってきました。

女性であれば、忘れさりたい、消してしまいたい深く傷ついた過去を話すのは、
あの頃の状況を思い出す事であるし、本来なら避けたい事ではないでしょうか!?
私なら、思い出したくもないし語れないかもしれない。
深く傷つき、自分は汚く汚れた人間であるとアマーが言っていました。
私は、アマーを汚い人間だとは思いませんでしたし、今までアマー達の受けた深い傷
を知らなかったほうが恥ずかしいと思いました。

今回、講演会には平和塾の仲間やピースアクションの仲間も数人きてくれました。
私は、この証言で聞いた事をたくさんの人に伝えたいし、アマーの心の傷を自分に
置き換えて考え、今後なんらかの形でアマーたちの微力ながら力になれたらいいなと
思いました。

講演会のあとに、アマーとの交流会がありました。
アマーの誕生日祝いもあり、大きなケーキやおいしいご飯もありました。
交流会では、たくさんの人と少しですが交流もしてきました。
私は今日深夜明けで行ったので、踊る元気はありませんでしたが、
みんなはアマーと踊ったりして盛り上がってました。

ピーチャリの感想が届きました♪

ピーチャリに参加したみんなの感想を紹介します。

✿有名な観光地の中で、こんなにたくさんの史跡・戦跡があるのかと感動した。

✿京都でも代表的な観光地の中に、戦争の歴史を語る史跡があると知らなかった。今まで知らなかったことに気付かされることが多いツアーだった。

✿今まで自分が認識していた京都とは違う部分を多く知ることができた。もっと京都を知りたくなった。

✿ツアー中、見知らぬ観光客の方から「そんなもの(戦跡)もあったのか!」「そんな歴史があったのか」などと声を掛けられ嬉しかった。

✿観光客の中には「そんなことをやっても何も変わらん」と言ってくる人もいた。しかし、それでも、だからこそ、平和を訴える活動をこれからもやっていきたいと思った。

✿「何が9条や!」と言ってくる観光客もいた反面、「良いことやってるな!がんばれ!」と励ましてくれる観光客もいた。いろいろ考えさせられるツアーだった。

✿宣伝は正直恥ずかしかったけれど、署名などけっこう書いてくれて訴えることも大事なんやなと思った。

✿団体でシュプレヒコールをするのはよく目にするが、少し時代に合わないのではないかと感じていた。自転車に乗りながら平和を語ることができて、新鮮さを感じた。

✿たくさんの志を同じくする仲間と一緒にツアーと行えてよかった。本当に楽しかった。

✿ツアー全体を通して、人々を身近に感じながらアピールすることが出来たと思う。

そして今回のリーダーより。

まず、大変な時期に行ったにも関わらず、事故なく企画を終えられてよかったです。

企画を通じて、憲法9条に関して観光客の意見を真正面からもらうことができました。賛否両論ありましたが、現在における国民の考えの縮図だと思います。そしてやはり市民と同じ目線で、市民の中に入り込んで行う「ピーチャリツアー」だからこそ得られた貴重な意見だと思います。

また、少なからずの観光客に「観光地の中の戦跡」を知ってもらうことができました。個人的にはツアーの中で得られた一番の収穫です。やはりピーチャリという企画の形と、京都の舞台がそのことを可能にしたんだと思います。

ガイドさんをはじめ、参加者全員が知恵と勇気を出し合って素晴らしい企画にすることが出来ました。

みなさんありがとうございました!



2008年11月23日日曜日

ピーチャリin嵯峨野 報告(後半)

後半は、嵐山公園を出発し、まずは常寂光寺へ向かいます。 昼を過ぎると観光客もさらに増え、自転車が進まない~(汗)

でもその分私たち、けっこう目立ったと思います。
(写真でもわかる通り・・・Tシャツのブルーがイイ→)
ここに至るまで、沿道からの声は、
「9条守るなんてそんなことをしてるからあかんのや」
「9条と25条って何だっけ?」
「いい取り組みやな。応援するわ。」
「がんばれ~」
などなど。

やっぱり応援してくれる声が励みになります。

さて、常寂光寺へ。
このお寺は、藤原定家が百人一首を選定した時雨亭の跡とも言われているお寺。
紅葉の間からきらきらと木漏れ日がさして、思わず見とれてしまうほどでした。

③常寂光寺の「女の碑」
 「女ひとり ここに平和を希う」との碑文が刻まれた「女の碑」がありました。
 戦争に駆り出された多くの若者は、再び還ってきませんでした。このため敗戦の頃に結婚適齢期であった女性の中には、生涯独身を通した人々が多くいました。
 長年女性差別や独身軽視という心の痛みを抱いてきた女性たちの思いが、住職長尾憲彰氏とかつての同僚である谷嘉代子さんの「わだつみの女性の世代、仲間同士で記念碑を作る」という計画に集まり、「女の碑の会」が1978年に設立されました。
 1979年に建立。碑文を書いたのは元参議院議員の市川房枝さんです。

それと合わせて、「志縁廟」も見に行きました。
「女の碑」の建立を機縁に、合祀墓の建立計画が進み、独身女性の他、独身男性、子どものいない夫婦、従来の「家の墓」になじまない人々も受け入れられるようになりました。
そして1990年春に、共同墓地である納骨堂の「志縁廟」が完成しました。

今回は中を見ることができなくて残念ですが、概観も美しいつくりになっていました。敷地の脇にあるので目立たず、案内してもらわなければ気付かないようなところでした。

また、この住職さんの元で復元された釣り鐘も案内していただきました。
自身も戦争体験を持っておられ、「多くの戦争犠牲者によって今の平和憲法が出来た。仏教は戦争を奨励しない。」との思いから戦争の際に供出した釣り鐘を復元したのだそうです。

今回はかないませんでしたが、予定さえあえば住職さんのお話を聞くこともできるそうです。

常寂光寺では、私たちが話を聞いていると観光客の方も「何かあるの?」と足をとめていかれました。
すかさずビラや資料などお渡ししましたが、観光だけでなく戦争の歴史や思いを感じ取っていただけたらいいなと思いました。


そして、いよいよピーチャリクライマックス!
清滝までの道を自転車にて走ります。

登って登って登って・・・・

写真のトンネル前に到着です。
太ももがパンパンになりました・・・。
沿道の応援がありがたかったです

(9条のアピールどころではなかったかも・・・。)
でもトンネルをくぐればあとは下り坂♪
すいす~いと・・・と思ってたら結構な急カーブ!

びっくりしながら、30分ほど?のアピールサイクリングを楽しみました。
そして清滝へ。
最後の戦争遺跡です。

④愛宕山のケーブル線
1929年に清滝と愛宕山を結ぶケーブルカーができました。当時のケーブルの長さは東洋一とうたわれ、周辺にはホテルや遊園地、スキー場などができ、庶民の楽しい遊園地となりました。
しかし、1941年8月、政府は「金属回収令」を公布、娯楽施設の金属類などは真っ先に目をつけられ、天橋立のケーブル、比叡山ケーブル、淀競馬場の大鉄傘などは、すべて撤去・供出されました。
現在はケーブルの軌道やトンネル、駅舎の跡がわずかに残っているだけです。
(トンネルは崩落していて現在は通行不能。)

ここには、「京都愛宕研究会」が立てた説明板が立っていました。
こうして説明などがあれば、通りかかった時に目に付くので大事ですね。
最後は参加者みんなで記念写真。
学んで、走って、アピールして、欲張りなピーチャリですが、参加したみんなにとって楽しい企画となり、よかったなと思っています。
いつの日か、もう間もなく、自分たちも戦争遺跡を語り継いでいかなくてはいけませんね。

参加したみなさん、お疲れ様でした(^^)/
ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました!
(戦跡の紹介は「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の資料とガイドさんのお話を参考にしました。)

ピーチャリin嵯峨野 報告(前半)

いいお天気と美しい紅葉に恵まれ、無事にピーチャリって来ました(^_^)v
ご報告します。

参加者は総勢17名。
今年原水禁世界大会に参加したよ~という1年目さんも参加してくれました。

中央病院を出発し、まずは嵐山へ。
予想どうりすごい観光客の数・・・そのど真ん中、渡月橋を渡って、右岸上手にある第1の戦争遺跡へたどり着きました。

①「露営の歌」の歌碑
1937年7月の盧溝橋事件から、日本は中国に対して全面的な侵略戦争を開始。その当時流行した軍歌に「露営の歌」があります。これは戦意高揚のため新聞社が歌詞を募集し、京都市役所の職員の作詞が入選したもの。1937年に「嵐山保勝会」などによって歌碑が建立。「露営の歌、勝って来るぞと勇ましく」との文字は陸軍大将によって書かれています。
当時の国民は南京大虐殺などの事実を知らされず、軍部や政府の宣伝のままに戦争支持の道を進んでいったのでした。 

ボート乗り場のそばに、ひっそりと残る碑でした。
そしてこの嵐山にはもう一つ、見ておくべき第2の戦争遺跡がありました。

②「日中不再戦」の碑
1968年、日中友好協会京都府連の呼びかけで建立。盧溝橋事件の30周年を記念し、日本の行った中国侵略への深い反省を込めて日本と中国が再び戦わない証として作られました。 当時はベトナム戦争の最中であり、アジアの平和・世界の平和を希求し、約2万人の京都府民の協賛と230万円の寄付金を集めて作られたそうです。
「日中不再戦」の文字は、当時清水寺の貫主であった、大西良慶氏によるもの。当初の計画では50万円程度の石碑を考えていたそうですが、大西氏に「そんな小さなことを考えるな」と一喝され、当時では大金の230万円の碑になったそうです。

以上二つを見学した後に、観光客に向けた宣伝活動をおこないました。
「折鶴宣伝」・・・一緒に折鶴を作ってもらう。来年の原水禁世界大会へ持っていく。
「署名宣伝」・・・核兵器廃絶を目指して。2010年NPTへ持っていく。
「アピール宣伝」・・・今回のピーチャリ企画と戦跡地図をビラにして配布する。

嫌がられるかな~と不安もありましたが、案外みなさん好意的に協力してくれました。特に戦跡ビラは、観光案内に乗っていないヒミツスポットということもあってか、好評でした。
私は折鶴宣伝に夢中でしたが、小学生が「この間学校で折ったよ」と手伝ってくれたのは嬉しかったです。

昼食は、そのまま嵐山の河原にて。

紅葉が本当に見ごろを迎えていて美しく、出店も多くて、観光客になってしばしの休憩を楽しみました。
                       (後半に続く・・・)
←紅葉と並んで休憩中の自転車たち。

2008年11月16日日曜日

エコバッグ

エコバッグが出来上がりました!
どんなときでも持ち歩いて、「9条」をアピールしましょう!

お値段は、少々お高めかも・・・?
980円です。

どしどし買ってくださいね。

2008年11月15日土曜日

アレン・ネルソン

『若者が戦場に向かうとき 貧困・格差と戦争

ベトナム戦争を経験した元アメリカ海兵隊員、アレン・ネルソンさんのお話を聞きに はるばる向日市まで林、中村、山田の3人で出かけてきました。
アレン・ネルソンさんはNYのブラックスラム街で生まれ育ち 貧しさもあり高校を中退して18歳で海兵隊へ入隊。 アメリカ、沖縄での訓練を経て、ベトナムへ派遣され、 その目でベトナム戦争を見、その体でベトナム戦争を経験してこられた方です。
ベトナムから帰還後、激しいPTSDを何とか乗り越え、 現在各地で自らの体験と思いを話して回られています。

軍隊での訓練は殺人訓練以外のなにものでもないこと。
軍隊は決して“peace keeper”などではないということ。
いかにして戦場で人を殺し、死体の数を数えたか。
彼にとっての戦争の記憶とは、忘れがたい人間の死体の腐乱臭であるということ。
そんな彼に自分達の行為のおぞましさを気づかせる、大きなきっかけとなったのが・・・
この辺りは私なんかの口から語るよりぜひご一読下さい。
『そのとき私の手の中に赤ん坊が・・・』
薄いブックレットなのですぐ読めます。何ならお貸しします(笑)

聞いていて一番胸が苦しかったのは次のくだりです。

当時はベトナムで、今はイラクでアフガンで最前線で戦っているのは
貧困の中に生まれ育ち、進学も就職もかなわず 軍隊だけが新しい世界への突破口と信じて入隊した若者たちであるということ。
それは日本の自衛隊についても同じことだろう、と。
かくて、世界中で戦い、血を流し合っているのは同じ貧しいもの同士なのだと。

軍需産業は、戦争はもうかるという事実があって、
軍人は否応無く構造的に生み出されているという世の中のシステムに激しい憤りを感じます。
戦争はダメだと、言っているだけではとても太刀打ちできない感じですね。 色々と改めて考えさせられた1日でした。

といっても楽しそうに写真を撮り、この後楽しく飲みに行ったんですけどね♪

2008年11月10日月曜日

安齋育郎先生の講演に参加しよう!

来る11月19日(水)18:00より中央病院のリハビリ室で

安齋育郎先生の講演があります。


「今、平和について考える・・・

      ベトナム戦争から学ぶこと」


をテーマに講演されます。


この講演は、尾崎会長が運営するNPO法人の活動報告を兼ねての記念講演です。


昨今、アメリカ大統領の勢力が替わり、何かが変わるかもしれないという希望?が

あるように思えますが、日本にとってはどちらにしてもなんら変わりばえない政権です。

自衛隊の派遣先が少し変わるだけです。

しかも、より危険になるでしょう。


平和について考える。


忙しい日々だからこそ、こういう機会に巡り合って、色んな人の話を聞き、

自分で考えて行動していけたら良いのではないでしょうか?


2008年10月17日金曜日

10月の定例会議をしました

今日は、参加者がそろうのに時間がかかったため、はじめに「ヒロシマナガサキ」のDVDを観ました。

14人の証言と映像を積み重ねていく形で展開され、一つ一つの言葉がズシンと響きます。
余計なナレーションがついていない分、静かに原爆の恐ろしさを感じられる内容でした。

私は、実はDVDを持っていて、家で一人で見たことがあるのですが、見終わった後にしばらく呆然としてしまいました。 映画を受け止めるのに時間がかかったということでしょうか。

今回はみんなで見ることができ、映画についての話なども出来てよかったです。
事実をしみじみ受け止めて、二度と繰り返さないのだという思いを強く持ちました。


さて、今回の会議では、 いよいよ来月に迫った「ピーチャリin嵐山」の相談をしました(^_^)
下見に行ってきた二人の報告を聞きながら、具体的なコースとタイムスケジュールの検討。
右は下見の写真をパソコンで見ながら、コースを相談している様子です。
中央病院~渡月橋(戦跡)~嵐山駅付近(宣伝)~常寂光寺(戦跡)~清滝(戦跡)
と回ることにしました。
清滝までの上り坂がけっこう大変なのでは?
というところで話が盛り上がりましたが、せっかくのピーチャリだし!ということで決定しました。
わくわくしてきますね~
詳細はニュース等でお知らせしたいと思います。
終了後はもちろん、いつものお好み焼きへ・・・

2008年9月19日金曜日

9月の定例会議をしました

今日は、9月の定例会議。7人が参加しました。
(ピースアクションしたい方は、お気軽に参加下さいね★)

議題 1 「エコバッグ」づくり
デザインとカラーが提案されました。(右はデザイン案)
人気の9Tシャツからそのままデザインを持ってきて・・・
でもすこし変化が加わりました。
色は「青系」「緑系」「アース系」などの意見が。
どんな風になったのか、出来上がってのお楽しみです(^。^)♪

議題 2 「ピーチャリ2008 in 嵐山」
THE 観光地!とも言うべき秋の嵐山が今回のコースです。
デコチャリに乗り、9Tシャツを着て、アピールしながら戦跡めぐり。
渡月橋・大覚寺・常寂光寺・清滝。どこも紅葉の美しいところばかり。
でもひっそりと、戦争の跡が残されているのだそうです。
観光地で果たしてどこまでチャリに乗れるのか・・・?
お昼ご飯は一体どこで食べるの・・・?
宣伝できる場所ある・・・?
雨が降ったら・・・?
といろいろ検討しながら、一度下見に行ってみることにしました。
下見の様子もまた紹介したいと思います。


最後はお決まりの「お好み焼き」へGO!
今日は「バースデー焼」というお好み焼きが3段重ねになったのを食べました。
そう、注文したのはピーチャリ企画の先頭に立つあの方です。
相変わらずいい食べっぷり!見ているだけでビールが進みました(笑)

2008年9月4日木曜日

平和塾 第3講 ~戦争体験の聞き取り~

今日は平和塾の第3講、「戦争体験の聞き取り」に参加してきました。

2班に分けて行われ、1班は小高さん(原爆症認定訴訟の原告)、2班は奥村さん(元従軍看護師)の話を聞き取りました。私は2班にまぜてもらいお話を聞きました。

奥村モト子さん(83歳)は日赤の「戦時救護班」として戦地に赴き、従軍看護師となってフィリピン・マニラの地で兵士の治療にあたっておられた方です。

そのお話は、実に具体的でした。

「隣を歩いている人の吐くツバにウジが混ざっていた。よく見ると鼻のところがやられてそこからウジがわいていた。」
「食べるものがなく、たんばく質を取らなくてはと思いおたまじゃくしを捕まえたが、煮たらとけてなくなり目玉だけが残っていた。」
「川の対岸から、逃げ惑う人をアメリカの兵隊が笑いながら戦車でひき殺していったのを見た」
など、怪我や病気の状態や亡くなる姿、逃げる中で飢えに苦しみながら生き延びた話など想像を絶する世界をリアルに教えていただきました。

その中で印象に残ったのは、逃げる際に負担になった患者さんたちを兵士から「始末するように」と命令された時のことです。
戦火が迫っており、患者さんからは「私たちのことはいいから、早く逃げて」という声もあれば、「看護師さん、私たちを置き去りにしないで」という声もあり、つらい状況にありました。
それでも奥村さんは「私たちは赤十字の元、ここにきています。兵隊では有りません。患者さんを殺すことはできません。」
と、はじめて兵士の命令に反論したそうです。

戦争にあっては、人の命を助ける看護師であっても殺せといわれる事実。
その中でも殺さないと言い切った奥村さん。
「正義の戦争」と言われてきたけれど、戦争とはなんと悲惨なことなのかと思い始めたそうです。

お話を聞いていて、戦争は体験した人でないと分からないひどく過酷な状況であることを改めて実感しました。
戦争を知らなければ想像できないような、ひどく残虐な世界でした・・・。
気さくに語ってくれた奥村さんも、淡々と話すなかに葛藤や後悔が混ざっており、つらいお話を何度も語り聞かせてくれているのだと思うと胸が詰まりました。

聞いた私たちがこれから何をつないでいけるのか。
次の講座では、聞き取りのまとめを行う予定です。
みんなの感想とまとめが楽しみです。

2008年8月9日土曜日

原爆の日

原爆の日です。

6日には、広島に。
9日には、長崎に。

原爆が落とされました。

アメリカは原爆投下は、戦争を終わらせるために必要だったといいます。
終戦間近の日本に、原爆を投下しなくても既に日本は疲弊しきっていて
食糧も燃料もありませんでした。
そんな国に原爆投下は、必要なかったでしょう。

アメリカは、新しいオモチャ・原爆という新兵器を人間で試してみたかっただけに過ぎません。

あの惨禍を2度と繰り返さないために行動を起こしましょう。


奇しくも広島の原爆の次の日、新しい戦火がまた起こりました。
オリンピックで日本中が世界中が浮き足立っているこの地球上で、中には戦争が起きていることを
時には忘れてしまいがちですが、忘れずに現実に眼を向けて生きていきたいものです。


戦争で直接的にも間接的にも亡くなられた方に哀悼の意を込めて黙祷を捧げます。

・・・peace....

2008年7月24日木曜日

ピースカーニバル2008~納涼壮行会~開催!

ピースカーニバル2008~納涼壮行会~を行いました。
今年は原水禁世界大会の壮行会も兼ねて、一緒にご飯を食べお酒を飲みながら楽しく送り出そう!と小規模ながら楽しい集まりとなりました。

←開始前には「折り鶴宣伝」。
 三条京阪にて、いろんな人に声をかけ折鶴を作ってもらっています。
はじめは、おそるおそるでしたが・・・

「この鶴はみんなの平和への思いをこめて、広島へ持っていくために折っています。ぜひ一緒に!」
というと、快く折鶴を折ってくれました。
待ち合わせ場所ということもあり、ちょっとずつ輪が広がります。
中には「広島出身です。昔から平和について教えられてきました。がんばってくださいね。」という方もおられました。
そして、ピースカーニバル開始!
まずは、原水禁世界大会に参加するみなさんに、一言ずつ思いや決意を話してもらいました。
『人の命について考えてきたい』
『ヒバクシャの話を聞ける最後の世代として、体験を聞いてきたい』
それぞれの意気込みにこちらが感動でした(;_;)

その後に9Tシャツの宣伝や平和塾の紹介をおこないました。
平和塾からはさっそく完成したニュースが配られました。まだ始まったばかりですが、アツイメンバーで盛り上がっています。

また、壁には先週「ピースアクションin吉祥院」で行われた平和写真展の作品が掲示されていました。
「平和と思う瞬間」「幸せな瞬間」を集めた写真です。
やっぱり笑顔・笑顔ですね。ほほえましい写真もたくさんありました。

ラストは、バンド「クラブピース吉」による演奏♪♪
ボーカルを務める看護師さんは仕事が終ってタクシーで駆けつけてくれました。(ありがとう!)
平和への願いがこもった「おりづる」は今日にぴったりの曲でした。

準備が足りないところもあってドキドキした場面もありましたが、平和への思いを持った仲間が集まって交流できる場は楽しくて、とても勇気付けられました。
ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
参加者のみんな、来年は一緒にピースカーニバル企画しようね!!

2008年7月12日土曜日

平和行進

市内網の目平和行進に参加してきました。

ブロック毎に別れているので、総勢どれほどの人が歩いたのかわかりませんが、
私が歩いた北上ブロックは、100名ほどでした。

・・・少ない気がしますが、仕方ないですね。
炎天下でしたし。

でも、汗かきながらも楽しく歩けました。

今回は原水禁に参加する看護師も1名、参加しました。
看護師が参加するなんて、画期的なことです!(笑)

まだまだ熱い平和の夏は続きます!
これからが本番です!
楽しみましょう!

2008年7月6日日曜日

9Tシャツ出来ました!

今年も熱い夏がやってきました!
平和の夏です!

今年も9Tシャツ売ります!

今年は5色あります。

ライトイエロー、

↑ターコイズ

↑チャコール(Adult)

↑チャコール(Kid)カワイイ(*´艸`)、
ブラック、ライトピンクです。

ライトイエローとライトピンクのバックプリントはレッド。
ターコイズ、チャコール、ブラックのバックプリントはホワイトです。


どんどん、広めよう!9条!

2008年7月5日土曜日

ぴぃすカフェ

3回目のぴぃすカフェを行いました!
今回は、仁和診療所をお借りしての開催。
ピーススタディーの講師がなかなか見つからなくてちょっとヒヤッとしたけれど、
ちゃんと見つかって立派に(笑)勉強会ができました。

今回の参加者は22名。
前回より参加者は多くなりましたが、まだまだだなと思いました。

ピーススタディーでは原水協の小杉さんがお話しをしてくださいました。
原爆の話から訴訟の話、今の情勢をとりまぜてお話しを1時間ほどしてくださいました。
来月は、原水禁世界大会があります。
今回のメイン会場?は広島。
ピースアクションのメンバーも今のところ、2名の参加が決まっています。
平和について色々と考えている人たちなので、この大会でまた成長してくれるでしょう。

「ヒバクシャ」という言葉は日本語だけど、海外でも通用します。
それほど、広島・長崎の原爆投下は問題視されています。
でも、原爆投下したアメリカは放射能を危険なモノだとは認めません。
そしてそれに足並みを合わせて日本政府も認めません。
今なお、原爆によって苦しんでおられる方がいるのに。
被爆者の方々も高齢化が進んでいます。
政府はその方々が亡くなるのを待っているのでしょう。
他者の苦しみをわからない政府を選んでいるのは誰でしょうか?

今回は七夕が近いということで3名、浴衣を着ました。
それぞれ、がんばって自力で着たけれど、いまいち帯ができあがらなかったので
ベテラン看護士さんがおられたので帯を素敵に仕上げてもらいました。

今回も手作りケーキに手作りゼリー、サンドイッチなどを売りました。
お昼を食べずに準備したのでとてもお腹がすいたので沢山食べてしまいました。。。

さあ、次はいつしよう?

2008年7月2日水曜日

平和塾開講!

大変遅ればせながら・・・。
去る6月19日@ラボールで行われた京都民医連第1回平和塾の開校式のご報告です。
まずは塾長である門先生からのご挨拶。
開校式といっても、ナントあの肥田舜太郎先生を招いての記念講演です。
塾生10名のみ対象ではなく、公開講座という形をとりました。
当日は14時からというスケジュールにも係らず、50名程の参加がありました。

← ご存知肥田先生。91歳とは信じられないエネルギーで、休憩も挟まず約1時間半お話してくださいました。
あの1945年8月6日の広島の惨状について。
その惨状を間近で見てきた、
そして、その後の被爆者と、日本という国を見続けてきた医師として。
民医連という組織を作り上げてきた一人の医師として。
今の日本の、世界のあり方への強い憤り。
最後に、京都でがんばっている私たちへの激励。
不覚にも(!?)わたしは涙ぐんだりしてしまいました・・・。
というわけで。いよいよ平和塾も本格始動です!
第1回目の授業は7月17日。これから半年、塾生の皆さまよろしくお願いいたします。
そして、来年こそは!と塾生の座を狙う若手の皆さま。
今年は私たちと一緒に10名の塾生の応援をしていきましょーね♪
今回の肥田先生の講演は只今DVD編集中らしいです。 乞うご期待!

2008年6月29日日曜日

憲法9条京都の会発足のつどい



今日は梅雨空の中、「憲法9条京都の会発足のつどい」に参加してきました。




記念講演では、鶴見俊輔さんがお話されました。


哲学者だけあって、難しいお話でところどころわからない部分も・・・(笑)


ご高齢と言う事もあり、時折声がきこえにくい事もありました。


たとえ話に「蛸壺」をだされ、面白くお話されました。


戦時中の話では、自分の部屋の隣のヒトが「黒人を毒殺せよ」という命令をうけた話をされ、自分にもしその命令をされたら、恐怖に屈して遂行していただろう、そして今、こうして話をする中でそのことを告白するだろうと言われました。


9条を日本人1億人一心に守るのではなく、蛸壺の中から出て自分で一心に守りたいといわれました。


「日本人1億人一心に」というと戦前、戦時中と一緒になってしまうからそうは言わないと。


でも自分で一心に守りたい。


「日本で恐怖に屈せず抵抗して生きていく」と言われたのが、印象的でした。


この恐怖は、戦時中に反戦運動をした人たちと共通の恐怖でしょうか。日本人は今も昔も少数派を封じ込める風潮があるし、「お上のいうことは絶対」という風潮がありますし。




安斉育郎さん、瀬戸内寂聴さん、鶴見俊輔さんという豪華(笑)な3人での対談もありました。




その中で


「9条を糸口として日本を世界に開いていかなければいけない」


「みんながやるから平和活動をやるのではなく、自分の責任において自分でやっていかなければいけない」


との言葉がありました。


みんながやってるからやらなければいけないのではなく、しんどい時もあるけれど、やりたいからやる、楽しいからやるという気持ちを大切にしていきたいと思いました。




今日のつどいは、1,050人もの人が集まりました。


年配の方が多かったですが、若い方もたくさん来られてました。


自分の周りの若い方も無理やりではなく、巻き込めたらいいなと思いました。




2008年6月20日金曜日

6月の定例会議をしました

今日の会議は、参加者7名+ピースジャム実行委員から1名の参加がありました。お菓子食べつつにぎやかで楽しい会議でした♪

一つ目の議題は「ピースカーニバル」。
昨年は200人を目標として、出店や展示、ステージ発表に映画「日本の青空」上映と盛りだくさんの企画をしましたが・・・

今年は、平和塾や憲法ミュージカルなど企画目白押しのため、規模を縮小。
「~納涼壮行会~」というステキなサブタイトルをつけて行うことにしました。
広島でおこなわれる原水禁参加者の壮行会と平和活動の交流ができたらと思っています。
日時は7月24日(木)19:00~。また詳細はメーリングリストにて。
企画前の18:00~は三条京阪で「折り鶴宣伝」をおこないます。
(民青でやっていると聞いてアイディアいただきました☆)

もう一つの議題は、「ピースグッズ」の作成。
毎年好評の「9条Tシャツ」を今年も色を変えて作ろうと計画中。
写真並べてみましたが、いろんな平和企画で活躍してますね~
(上:左京ピーチャリ、右下:京都ピーチャリツアー、左下:ピースカーニバル)
さらに追加される4色に注目!!です。

ちなみにこのデザインは「9をまく」という本からいただいたもの。
背中の「9」はいろんな言語で「憲法9条」を並べて書いてあるものです。

また、はやりの「エコバッグ」も検討中。
アピールしつつ、かわいらしく、使いやすく、・・・と注文をつけるとキリがないので、夏までの完成を目指して作ろうと思います。

他にも、肥田講演会の感想交流や、映画「靖国」鑑賞ツアーなど、話は多岐にわたりましたが、それはまたおいおいご紹介・・・

もちろん終了後は美味しいお好み焼きを食べに行きました。(勢いよく食べてしまったので写真を撮り損ねました・・・。)

2008年6月8日日曜日

伊藤真氏の講演に行って来ました

今日は、「第53回京都母親大会」に参加してきました。

午前は分科会で
「9条をめぐる世界の情勢」-講師:福山弁護士-
に惨禍しました。

イラク戦争のDVDを30分みて、その後福山弁護士のお話を聞きました。
第2次世界大戦後、アメリカはずっと戦争をし続けていた。
ベトナム、イラン、イラク、アフガニスタン。。。。
中には直接的ではないけれど、裏で操っていたものもある。

日本は、「憲法9条」がある。
その9条のお陰で第2次世界大戦後、一度も直接的には戦争をせず、人殺しをしていない。
アフガニスタンの給油やイラクの派兵は間接的には人殺しに荷担しているけれども。
この講演の中で「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ?」という質問がありました。
北朝鮮が攻めてきたとして、陸上戦はあり得ない。
ミサイルが飛んでくる戦争となると思います。
ミサイルが飛んできた場合、専門家が言うにはそれを防ぐ術はないらしい。
そうすると、ミサイルが飛んできた時点で日本は、被害を被るだろうし、自衛隊なんてなんの役にも立たない。ミサイルが日本に発射されたら、アメリカがこれ幸いと北朝鮮を壊滅させるでしょう。
それは、アメリカに守られているわけではないと思う。
アメリカは日本が何か被害を被った時に、それを口実に侵攻するのであって、日本を守ってくれるわけではない。
じゃあ、日本の自衛隊が守ってくれる?
北朝鮮との戦争が万が一、勃発した場合、陸上戦ではなくミサイルで片をつけようとするだろう。ということは、自衛隊だって何の役にもたたない。
しかも、先の戦争を前例に出すと、軍は国民を守るためにいるわけではない。
そういう事を考えると、日本は9条を守りつつ、平和的外交手段で如何に戦争を起こさないようにするかということを考えなければならないでしょう。
9条によって日本が丸腰で不安なのではなく、9条によって日本は守られているということを改めて認識しなければいけないと思います。

・・・・話が長くなりましたが、メインは「伊藤真氏」です。


伊藤真氏の講演は今回、初めてでした。
聞きたい聞きたいと思いつつ、なかなか聞けなかったのですが、今回ようやく念願かない聞けました。
想像よりも大きな人でびっくりしました(笑)
とても話し上手な人でした。
もっともっと話を聞きたいし、質問をしたいと思いました。

今回は、「憲法とは何か、人権とは、戦争とは何か」を話されました。
憲法で規定されているのは、「奪ってはいけないモノ、してはいけないモノ」が定められている。
伊藤氏は小学校や中学校にも講演に行かれているのでかみ砕いて話をしてくださり、とてもわかりやすく、「憲法」というと身近なモノではなかったけれど、とても身近に感じられました。

とても印象的だった言葉は(沢山あるけれど)、

「憲法を理解する上でイマジネーションは不可欠」

イマジネーションはどんなときでも必要なものだけど、想像することがとてもしんどいときもあるし、したくないときもある。
でもいつでも自分のことだけでなく、周りを見渡した時に自分以外の人がどう思うのか、自分より弱い立場の人がどんな風に感じているのかということを想像できる人間でありたいと思います。

ピースアクションでの勉強会でも伊藤氏、来てほしいですね!

2008年5月30日金曜日

大阪原爆症認定訴訟 全面勝訴!

今日は原爆症認定訴訟の判決を傍聴するためにピースアクション2人+友人で大阪まで行って来ました。

戦後63年目を迎える今、ヒロシマやナガサキで原爆の被害を受けた方々が、原爆症の認定を求めて国を訴え闘っています。

先日4月8日に新基準で原爆症認定を受けたこの訴訟の原告の佐伯さんが、わずか8日後の16日に亡くなられました。
京都原爆訴訟支援ネットのホームページを参照)
たった8日間の認定。
その新聞記事を読み、人生をかけた闘いであったことを思い知らされ、遅まきながらその裁判を観にいきたいと思い大阪まで行って来ました。

80人ほど入る法廷だと聞いていましたが、傍聴者はいっぱいに。
私たちは初めて見に来たということもあり、中に入れていただくことができました。
入れなかった方も旗出し(「全面勝訴!」「不当判決!」など掲げて走ってくる、よくTVで観るやつ)を待って外で見守ります。

結果は・・・全面勝訴!
原告9名全員の原爆症を認定する判決が出ました。
(詳しい判決要旨は、上記ホームページに掲載されていますのでご覧下さい。)
読み上げるのは数分で終わり、あっという間の傍聴でした。
本当は判決の意味がよくわからず、弁護団の「よっしゃ!」という声で勝ったのだなと分かったくらいです・・・(^^;)。

終了後は報告集会にて、原告の方より一言ずつ言葉がありました。
今日は体調を崩して来られなかった方もおられました。

判決を受けて国の対応が待たれますが、上告しませんようにと・・・。
支援団体では週明けに、国会前の座り込み行動を計画しているそうです。
すべての原告の原爆症が認められ、一日も早く安心して養生できる環境となるように願います。

2008年5月25日日曜日

デニス・カイン講演会


先日お知らせしていた、デニス・カイン講演会に行って来ました。
たくさんの資料を持参され、写真やスライドを使って熱く、でもさわやかに話していただきました。
「湾岸戦争での劣化ウラン弾によるヒバクシャ」と聞いていましたが、お会いした感じでは「まだ若い・・・」というのが第一印象です。
印象に残ったことを紹介します。

一つは「軍隊は民主主義を育てない」ということ。
デニス・カイン氏自身の軍の教育教官をした経験から、語ってくれました。
命令に対して「Yes.」がいつでも応えられるように訓練している様子は実演つきで。
デニス氏のさわやかな穏やかな口調がガラッと変わり、急に超スピードで攻撃されているかのような怒鳴り声で話し始めます。最後には「Is that clear?」と聞かれ、よくわからなくても威圧的に「Yes」を求められる雰囲気に。
聞いているだけでドキドキしました。
考える余地を与えず、条件反射で反応する力が養われているとの事です。
民主主義は社会の基本だと思っていましたが、戦争となるとそうして奪われていくのだとよくわかりました。

ちなみに、現在アメリカでは、「学生軍事教練隊」と称し14歳~17歳の志願した学生に軍事訓練を行っているそうです。政府の予算で。
若者たちはよくわからない頃から戦争を教わることになります。
また、軍に入ることを契約して大学に進学すると、学費を出してもらえるという宣伝をしており、貧困層にとっては、大学進学の唯一の道になることも。
そうやって軍の教育を受ける層を増やし、戦争に向かわせていくのだそうです。


もう一つは、「内部被爆についてはヒロシマもナガサキもイラクもアフガニスタンも僕たち帰還兵も共通している」ということです。
デニス・カイン氏は、湾岸戦争時に劣化ウラン弾が使われた地域で活動していたことにより被爆しました。2人の兄弟も同じ湾岸戦争で被爆しましたが、そのうち一人は、全く劣化ウラン弾が使われていない地域で活動していたそうです。それでも、イラクから運ばれてくるトラックの砂やちり、ほこりで被爆したと考えられます。帰還後はイラクに行った事のないわが子も被爆の症状が出てきたそうです。
しかし米軍はもちろん被爆を認めていません。デニス氏も、2人の兄弟も。子どもも。

「内部被爆」はまだ、医学的にきちんと解明されているわけではありません。
しかし、たくさんの症例の積み重ねがあり、影響があることは間違いないのです。

その意味で、日本で行われている「原爆症認定訴訟」は、世界の被爆者が注目する一つの闘いなのだそうです。
「内部被爆」をどこまで認めるのか。

「同じヒバクシャとして、日本のヒバクシャとともに頑張りたい」
そう締めくくったデニス氏のことばに心が揺れました。

ちょうど30日には原爆症認定訴訟の判決が大阪高裁で出る日です。
今日の話を聞いて、注目しないわけにはいきません。

2008年5月21日水曜日

一日体験ミュージカルのお知らせ

何度かお知らせしています『2009市民ミュージカル京都』の出演者募集ビラが完成しました。

出演者のオーディションは「一日体験ミュージカル」という形で行われます。
経験がない方でも、体を動かしてみる、歌ってみる、セリフを言ってみる・・・少しずつミュージカルを体験してもらう中で、楽しさを見出してもらおうと思っています。
同時に、それぞれの個性を見せていただくことで、オーディションとするそうです。
「一日体験ミュージカル」の日程と応募要項は以下の通りです。
   
     日時:6月28日(土)、29日(日)、7月6日(日)のいずれか一日
  応募条件:年齢15歳以上(中学生は不可)
         今後の練習や本番に参加できる方
    参加費:2,000円
 
 【申し込み・お問い合わせは・・・】
  2009市民ミュージカル京都実行委員会
  〒 604-0915 京都市中京区寺町通二条上る
              ARTビル4階 京都労演内 
  TEL:075-231-3730  FAX075-211-7855
 
 なお、今後の予定としては、
 【ワークショップ・基礎練習 参加費15,000円】
 ・7月7日~9月8日毎週月曜日のダンス・歌練習
 ・7月12日~9月6日毎週土曜日の演劇基礎練習
  (7月19日、8月2、16日は休みです)
 【ミュージカル稽古】
 週1回の練習(特別練習・合宿が入ることも)
 【ミュージカル本番!】
 2009年3月14日(土)、15日(日)
 京都文化芸術会館にて
 
盛りだくさんのように見えますが、やっていくうちに楽しくなっていくのかな~と思います。
参加のご応募お待ちしています!