2008年11月23日日曜日

ピーチャリin嵯峨野 報告(前半)

いいお天気と美しい紅葉に恵まれ、無事にピーチャリって来ました(^_^)v
ご報告します。

参加者は総勢17名。
今年原水禁世界大会に参加したよ~という1年目さんも参加してくれました。

中央病院を出発し、まずは嵐山へ。
予想どうりすごい観光客の数・・・そのど真ん中、渡月橋を渡って、右岸上手にある第1の戦争遺跡へたどり着きました。

①「露営の歌」の歌碑
1937年7月の盧溝橋事件から、日本は中国に対して全面的な侵略戦争を開始。その当時流行した軍歌に「露営の歌」があります。これは戦意高揚のため新聞社が歌詞を募集し、京都市役所の職員の作詞が入選したもの。1937年に「嵐山保勝会」などによって歌碑が建立。「露営の歌、勝って来るぞと勇ましく」との文字は陸軍大将によって書かれています。
当時の国民は南京大虐殺などの事実を知らされず、軍部や政府の宣伝のままに戦争支持の道を進んでいったのでした。 

ボート乗り場のそばに、ひっそりと残る碑でした。
そしてこの嵐山にはもう一つ、見ておくべき第2の戦争遺跡がありました。

②「日中不再戦」の碑
1968年、日中友好協会京都府連の呼びかけで建立。盧溝橋事件の30周年を記念し、日本の行った中国侵略への深い反省を込めて日本と中国が再び戦わない証として作られました。 当時はベトナム戦争の最中であり、アジアの平和・世界の平和を希求し、約2万人の京都府民の協賛と230万円の寄付金を集めて作られたそうです。
「日中不再戦」の文字は、当時清水寺の貫主であった、大西良慶氏によるもの。当初の計画では50万円程度の石碑を考えていたそうですが、大西氏に「そんな小さなことを考えるな」と一喝され、当時では大金の230万円の碑になったそうです。

以上二つを見学した後に、観光客に向けた宣伝活動をおこないました。
「折鶴宣伝」・・・一緒に折鶴を作ってもらう。来年の原水禁世界大会へ持っていく。
「署名宣伝」・・・核兵器廃絶を目指して。2010年NPTへ持っていく。
「アピール宣伝」・・・今回のピーチャリ企画と戦跡地図をビラにして配布する。

嫌がられるかな~と不安もありましたが、案外みなさん好意的に協力してくれました。特に戦跡ビラは、観光案内に乗っていないヒミツスポットということもあってか、好評でした。
私は折鶴宣伝に夢中でしたが、小学生が「この間学校で折ったよ」と手伝ってくれたのは嬉しかったです。

昼食は、そのまま嵐山の河原にて。

紅葉が本当に見ごろを迎えていて美しく、出店も多くて、観光客になってしばしの休憩を楽しみました。
                       (後半に続く・・・)
←紅葉と並んで休憩中の自転車たち。

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