2010年12月12日日曜日

第22次辺野古支援・連帯行動

全日本民医連が継続して取り組んでいる辺野古支援連帯行動に12/10 ~12参加してきました。何回も行ってる沖縄ですが辺野古支援という形では初体験でした。1日目は普天間、嘉手納の基地見学。2日目に辺野古へ。

私たちが行った12/11 は座り込み2428日目(ちなみに前行った時は1035日目)でした。気の遠くなりそうな長いながい時間。地元の人たち、全国から来た人たちが、それぞれの思いを抱えて同じようにここに座って、時には海上のやぐらの上からこの美しい海を見つめてきたんだよな・・・。
過疎地で、漁業資源も少ない辺野古漁協を、地元の人たちを、基地とお金をちらつかせて真っ二つにしただけでもものすごく罪が重い。たった6,7時間いただけで何が分かったというのも憚られるようなとても静かなたたかい。今回の団長、鳥取の皆木先生の「ここでは怒りの拳を振り上げるよりももっともっと難しいたたかいを続けている」という言葉が胸に重く響きました。
辺野古の海はホントに綺麗でした。海底の珊瑚までみえる遠浅の海。一気に深くなって瞬間色がエメラルドグリーンから深い青に変わる。波も日差しも穏やかでうっかりうっとりしてしまうくらい。ボートで一時間かけて回った範囲に海上10メートルもそびえるV字型滑走路が作られるという計画です。海上に“V字”が書いてあるよく見るあの図の実態に圧倒されてしまいました。

ご存知キャンプシュワブの境界線にある有刺鉄線。この日はだいぶ錆びてへちゃげてたのですが、この2日後には管総理来沖の報をうけて新品の有刺鉄線に張りかえられたそうです。ほんとやることせこくて笑っちゃう。ちなみに有刺鉄線がくちゃっとなっているのは、門限を過ぎて正面玄関から入れなくなった米兵が踏み越えるから。ここにコンクリートの壁を作って一番困るのはさて、誰でしょう。

今日送られてきた全国の参加者の感想の中に「金網の向こうから無邪気に私たちに手を振ってくるまだあどけない顔の米兵。彼らもアメリカの貧困という現実を背負って沖縄に来ている。私たちの敵は単純に彼らだと思ってはいけない」というような記述がありました。そうなんだよね。単純に分かりやすい構図にしてしまうと、絶対に何かが見えなくなってしまう怖さ。だからこその難しさ。


そして書いてたらどんどん長くなってしまってもう寝る時間(笑)
というわけで3日目はまた後日・・・。

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