2010年12月14日火曜日

第22次辺野古支援・連帯行動②

はい、続きです(笑)
3日目はアブチラガマ(糸数壕)見学から。
アブチラガマは全長270mの鍾乳洞。ここは一時600人をこえる負傷兵で埋め尽くされ、200人の日本兵や住民が生活をしていたそうです。20年前、初めてこの壕を訪れた時は、落ちている人骨らしきものにひたすら恐怖を感じ、2度目の時は、懐中電灯を消したら自分の手すら見えない暗闇で、ごつごつ湿った岩の空間で人が生活していたなんてやっぱりどこか信じられなくて、そして3度目。落ちている茶碗やガラスのかけら、廃油のランプですすけた岩肌、空気孔、かまど跡など確かに人がいた気配を感じざるをえなかった気がします。
ガマは一番奥の安全なところが、将校や軍医の部屋、真ん中が兵隊、病棟、食料庫、一般住民は一番危険な出口付近、さらに韓国人などという配置になっていたそうです。軍隊は決して沖縄の住民を守るためにいたのではないという事実がここにも・・・。

その後ひめゆり平和祈念資料館へ。資料館見学後、館長さんの証言も聞かせていただきました。行ったことのある人が多いと思うので、私の感想は不要かなと思いつつ一つだけ。第4展示室「鎮魂」沖縄戦で亡くなった277名の教師・生徒たちの遺影とその人柄、亡くなった当時の様子などが展示されています。この展示方法にいつもはっとさせられるのです。女学生さん、兵隊さん、そしてアメリカ兵…。色々な呼び名でくくられた大勢一人ひとりに、それぞれの人格があり、生活があり、人生があったということ。戦争というものはそれを踏みにじるものだということ。ひめゆりは決して有名な戦争物語などではないということ。

沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと 思うのです

このなまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか

戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです
(沖縄県立平和祈念資料館 運営協議会 作)

いっつも渦中にいる時は分からなくて、全部終って帰ってきて、こうやって思い返してやっと自分がしてる体験の貴重さに胸を衝かれます。次の辺野古支援は3月です。ぜひたくさんの人に経験してきてもらいたいナと思います。今回が22、次は23次。つまり22×60人も全国に同じ経験をした民医連職員さんがいるのよね。ちょっと明日から探しに行って語り合わなくちゃ。


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