2009年10月29日木曜日

☆韓国研修レポート②

三日目午前はナヌムの家へ。

大学のジェンダー論の授業で知って以来ずっと行ってみたい場所でした。行ってみたい、そんな軽い言葉を使うこと自体が憚られるような場所ですが。               
「私たちが強要に抗えずしてしまったことを歴史に残さねばならない・・・」韓国で最初に名乗り出た左の写真の真ん中に写っているハルモニの言葉です。
日本では従軍慰安婦、というコトバで知られていますが、ナヌムの家では「従軍」には自発的なニュアンスが含まれていること、また行為の主体を明らかにする意から「日本軍」慰安婦という呼称を使っているそうです。慰安婦問題は①帝国主義と植民地の問題②男女の問題③貧富・格差の問題の3つが合わさって起きたのだと説明を受けました。①は一番分かりやすい構図ですが、その国の中にある格差を利用するという点で③が一番悪質だと思いました。慰安婦にされたのはその国の契約書の文字も読めないような、貧しく教育を受ける機会もなかった女性たちだそうです。朝鮮人が多かったのは、植民地化された朝鮮が特に厳しい経済状況にあったから。声をあげる術を知らない人たちをまず犠牲にし、そして被害者が声を上げられないシステムを作り出す。権力者のすることはいつの時代もえげつないと本当に心の底から腹が立ちました。
右の写真は当時の慰安所の一部屋を再現したものです。暗くて湿っぽくてとても狭い、たらいと布団だけが置いてある部屋。この部屋をのぞき込んだ時の気持ちはどう言ったらよいのでしょう。私は反射的に逃げ出したくなりました。
戦争中は日本軍に強制的に慰安婦にされ、戦争が終わると日本が負けたことも知らされず、日本軍から、そして母国韓国からも置き去りにされた女性たち。故郷に戻ることも叶わず、傷ついた心と体をかかえて戦後の復興の中どんな苦しい思いをして彼女たちは生きてきたのだろう・・。一人の人間として、日本人として私はどんな顔をして彼女たちと向かい合ったらいいのだろうかと本当に打ちのめされたかんじでした。
それなのに、私たちを迎えてくれたハルモニたちはとても優しくて、握ってくれた手はとても温かくて、思わず涙がこぼれそうになりました。
写真のパ・ゴクソンハルモニの言葉です。
「いっぱい勉強してね。日本に帰ってこんなことがあったのだと、二度とこんな悲しいことは起こさないで欲しいと、私が頼んでいたとどうか皆に伝えて欲しい。こんなところまで会いにきてくれて本当にどうもありがとう。みんなで手をつないで。世界が平和になるよう・・・」
ハルモニたちが日本語をしゃべれること自体がまた悲しくて、でも私たちが知りたいと願って行動していることを、心から喜んで応援してくれて、ナンテ言ったらいいんでしょう。今思い出してもまた泣きそうです・・・。
人間の愚かさ、戦争の狂気、言葉にすると何だか薄っぺらくなってしまうけれど、人が起こす戦争はこんな風にいろいろな形で人を深く深く深く傷つける。何でそんな当たり前のことが当たり前に分からない時代になってしまうんだろう。 ソウル市内に戻るバスの中で一同しばし無言、放心状態でした。
つづく。

1 件のコメント:

sae さんのコメント...

韓国研修、お疲れさまでした。
私も行きたかったなぁ。

それはさておき。

戦争によって、被害を受ける人間が多数いる一方で、戦争によって利益を得る人間もいるという言わずもがなの現実。
ハルモニも被害者だし、ハルモニを徴収した人間ももしかしたら貧困から脱するために騙したかもしれない。
戦時中は、何が悪で何が善かもわからない状態になるのかなと思う。
何が悪で何が善かというのは、ヒトの価値観によってそれぞれ違うし、他人によって強制的に変えられるものではないけれど、戦争は絶対悪だと思う。
人間は理性のある動物なので、戦争に頼らず生きていって欲しいものである。

映画『明日への遺言』を観て、久しぶりに夢にうなされて目を覚ましてしまいました。
子供の頃、『ひめゆりの塔』を観て戦争の夢を観て眠れなくなったことを思い出しました。想像力があれば、戦争は起きないような気がするけれど、金儲けはその想像力を麻痺させる力があるし、想像力を退化させる教育を行っている政府もいる。全てのヒトが色んなことを学んで、観て、もっともっと自分のものとして吸収していってほしい。