2008年11月30日日曜日

旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国集会

今日、ひとまち交流館で行われた講演会に参加してきました。

今日の講演会では、台湾から被害女性であるウ・シュウメイさん(92歳)が

涙ながらに証言をしてくださいました。



ウ・シュウメイさん(アマー)は、19歳で旅館で仲居券接客係として
義母に売り渡されました。
そして、23歳の時に家の近くのホテルのオーナーで元警察官だった人に、
「今よりもっと楽な仕事をしないか?」などと騙され強制的に前線の「
慰安婦」として連れていかれたそうです。出発前に裸にされ、軍医に検査され、
合格し1日に多い時で20名を超える兵隊の相手をさせられたと…。
そして、乱暴な兵士が嫌で逆らうと、「殺すぞ」と脅され、殴られたと涙で声を
震わせながら語ってくださいました。
また、拒否した時に、「私は、お国の為に働いているんだからサービスしろ」とまで
言われたそうです。
アマーは、戦後に二回結婚をしたのですが、堕胎で傷ついた身体で子供が産めずに夫は、
彼女に冷たくあたったそうです。
アマーの涙ながらの勇気ある証言に、聴いている私達も涙がでました。

アマーは、
「日本政府はどうして、した事を認めないのか!?
人生が台無しになりました。身体も傷だらけです。
死ぬまでに謝罪と賠償をしてほしい。
日本政府が忘れても、私の身体が証拠です」
と語られ、私達に訴えていました。

私は、平和塾の韓国ツアーでナヌムの家に行きましたが、実際に証言を聞く
事ができなかったので、今回の講演会で韓国での学んだ事がよりリアルに伝わってきました。

女性であれば、忘れさりたい、消してしまいたい深く傷ついた過去を話すのは、
あの頃の状況を思い出す事であるし、本来なら避けたい事ではないでしょうか!?
私なら、思い出したくもないし語れないかもしれない。
深く傷つき、自分は汚く汚れた人間であるとアマーが言っていました。
私は、アマーを汚い人間だとは思いませんでしたし、今までアマー達の受けた深い傷
を知らなかったほうが恥ずかしいと思いました。

今回、講演会には平和塾の仲間やピースアクションの仲間も数人きてくれました。
私は、この証言で聞いた事をたくさんの人に伝えたいし、アマーの心の傷を自分に
置き換えて考え、今後なんらかの形でアマーたちの微力ながら力になれたらいいなと
思いました。

講演会のあとに、アマーとの交流会がありました。
アマーの誕生日祝いもあり、大きなケーキやおいしいご飯もありました。
交流会では、たくさんの人と少しですが交流もしてきました。
私は今日深夜明けで行ったので、踊る元気はありませんでしたが、
みんなはアマーと踊ったりして盛り上がってました。

ピーチャリの感想が届きました♪

ピーチャリに参加したみんなの感想を紹介します。

✿有名な観光地の中で、こんなにたくさんの史跡・戦跡があるのかと感動した。

✿京都でも代表的な観光地の中に、戦争の歴史を語る史跡があると知らなかった。今まで知らなかったことに気付かされることが多いツアーだった。

✿今まで自分が認識していた京都とは違う部分を多く知ることができた。もっと京都を知りたくなった。

✿ツアー中、見知らぬ観光客の方から「そんなもの(戦跡)もあったのか!」「そんな歴史があったのか」などと声を掛けられ嬉しかった。

✿観光客の中には「そんなことをやっても何も変わらん」と言ってくる人もいた。しかし、それでも、だからこそ、平和を訴える活動をこれからもやっていきたいと思った。

✿「何が9条や!」と言ってくる観光客もいた反面、「良いことやってるな!がんばれ!」と励ましてくれる観光客もいた。いろいろ考えさせられるツアーだった。

✿宣伝は正直恥ずかしかったけれど、署名などけっこう書いてくれて訴えることも大事なんやなと思った。

✿団体でシュプレヒコールをするのはよく目にするが、少し時代に合わないのではないかと感じていた。自転車に乗りながら平和を語ることができて、新鮮さを感じた。

✿たくさんの志を同じくする仲間と一緒にツアーと行えてよかった。本当に楽しかった。

✿ツアー全体を通して、人々を身近に感じながらアピールすることが出来たと思う。

そして今回のリーダーより。

まず、大変な時期に行ったにも関わらず、事故なく企画を終えられてよかったです。

企画を通じて、憲法9条に関して観光客の意見を真正面からもらうことができました。賛否両論ありましたが、現在における国民の考えの縮図だと思います。そしてやはり市民と同じ目線で、市民の中に入り込んで行う「ピーチャリツアー」だからこそ得られた貴重な意見だと思います。

また、少なからずの観光客に「観光地の中の戦跡」を知ってもらうことができました。個人的にはツアーの中で得られた一番の収穫です。やはりピーチャリという企画の形と、京都の舞台がそのことを可能にしたんだと思います。

ガイドさんをはじめ、参加者全員が知恵と勇気を出し合って素晴らしい企画にすることが出来ました。

みなさんありがとうございました!



2008年11月23日日曜日

ピーチャリin嵯峨野 報告(後半)

後半は、嵐山公園を出発し、まずは常寂光寺へ向かいます。 昼を過ぎると観光客もさらに増え、自転車が進まない~(汗)

でもその分私たち、けっこう目立ったと思います。
(写真でもわかる通り・・・Tシャツのブルーがイイ→)
ここに至るまで、沿道からの声は、
「9条守るなんてそんなことをしてるからあかんのや」
「9条と25条って何だっけ?」
「いい取り組みやな。応援するわ。」
「がんばれ~」
などなど。

やっぱり応援してくれる声が励みになります。

さて、常寂光寺へ。
このお寺は、藤原定家が百人一首を選定した時雨亭の跡とも言われているお寺。
紅葉の間からきらきらと木漏れ日がさして、思わず見とれてしまうほどでした。

③常寂光寺の「女の碑」
 「女ひとり ここに平和を希う」との碑文が刻まれた「女の碑」がありました。
 戦争に駆り出された多くの若者は、再び還ってきませんでした。このため敗戦の頃に結婚適齢期であった女性の中には、生涯独身を通した人々が多くいました。
 長年女性差別や独身軽視という心の痛みを抱いてきた女性たちの思いが、住職長尾憲彰氏とかつての同僚である谷嘉代子さんの「わだつみの女性の世代、仲間同士で記念碑を作る」という計画に集まり、「女の碑の会」が1978年に設立されました。
 1979年に建立。碑文を書いたのは元参議院議員の市川房枝さんです。

それと合わせて、「志縁廟」も見に行きました。
「女の碑」の建立を機縁に、合祀墓の建立計画が進み、独身女性の他、独身男性、子どものいない夫婦、従来の「家の墓」になじまない人々も受け入れられるようになりました。
そして1990年春に、共同墓地である納骨堂の「志縁廟」が完成しました。

今回は中を見ることができなくて残念ですが、概観も美しいつくりになっていました。敷地の脇にあるので目立たず、案内してもらわなければ気付かないようなところでした。

また、この住職さんの元で復元された釣り鐘も案内していただきました。
自身も戦争体験を持っておられ、「多くの戦争犠牲者によって今の平和憲法が出来た。仏教は戦争を奨励しない。」との思いから戦争の際に供出した釣り鐘を復元したのだそうです。

今回はかないませんでしたが、予定さえあえば住職さんのお話を聞くこともできるそうです。

常寂光寺では、私たちが話を聞いていると観光客の方も「何かあるの?」と足をとめていかれました。
すかさずビラや資料などお渡ししましたが、観光だけでなく戦争の歴史や思いを感じ取っていただけたらいいなと思いました。


そして、いよいよピーチャリクライマックス!
清滝までの道を自転車にて走ります。

登って登って登って・・・・

写真のトンネル前に到着です。
太ももがパンパンになりました・・・。
沿道の応援がありがたかったです

(9条のアピールどころではなかったかも・・・。)
でもトンネルをくぐればあとは下り坂♪
すいす~いと・・・と思ってたら結構な急カーブ!

びっくりしながら、30分ほど?のアピールサイクリングを楽しみました。
そして清滝へ。
最後の戦争遺跡です。

④愛宕山のケーブル線
1929年に清滝と愛宕山を結ぶケーブルカーができました。当時のケーブルの長さは東洋一とうたわれ、周辺にはホテルや遊園地、スキー場などができ、庶民の楽しい遊園地となりました。
しかし、1941年8月、政府は「金属回収令」を公布、娯楽施設の金属類などは真っ先に目をつけられ、天橋立のケーブル、比叡山ケーブル、淀競馬場の大鉄傘などは、すべて撤去・供出されました。
現在はケーブルの軌道やトンネル、駅舎の跡がわずかに残っているだけです。
(トンネルは崩落していて現在は通行不能。)

ここには、「京都愛宕研究会」が立てた説明板が立っていました。
こうして説明などがあれば、通りかかった時に目に付くので大事ですね。
最後は参加者みんなで記念写真。
学んで、走って、アピールして、欲張りなピーチャリですが、参加したみんなにとって楽しい企画となり、よかったなと思っています。
いつの日か、もう間もなく、自分たちも戦争遺跡を語り継いでいかなくてはいけませんね。

参加したみなさん、お疲れ様でした(^^)/
ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました!
(戦跡の紹介は「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の資料とガイドさんのお話を参考にしました。)

ピーチャリin嵯峨野 報告(前半)

いいお天気と美しい紅葉に恵まれ、無事にピーチャリって来ました(^_^)v
ご報告します。

参加者は総勢17名。
今年原水禁世界大会に参加したよ~という1年目さんも参加してくれました。

中央病院を出発し、まずは嵐山へ。
予想どうりすごい観光客の数・・・そのど真ん中、渡月橋を渡って、右岸上手にある第1の戦争遺跡へたどり着きました。

①「露営の歌」の歌碑
1937年7月の盧溝橋事件から、日本は中国に対して全面的な侵略戦争を開始。その当時流行した軍歌に「露営の歌」があります。これは戦意高揚のため新聞社が歌詞を募集し、京都市役所の職員の作詞が入選したもの。1937年に「嵐山保勝会」などによって歌碑が建立。「露営の歌、勝って来るぞと勇ましく」との文字は陸軍大将によって書かれています。
当時の国民は南京大虐殺などの事実を知らされず、軍部や政府の宣伝のままに戦争支持の道を進んでいったのでした。 

ボート乗り場のそばに、ひっそりと残る碑でした。
そしてこの嵐山にはもう一つ、見ておくべき第2の戦争遺跡がありました。

②「日中不再戦」の碑
1968年、日中友好協会京都府連の呼びかけで建立。盧溝橋事件の30周年を記念し、日本の行った中国侵略への深い反省を込めて日本と中国が再び戦わない証として作られました。 当時はベトナム戦争の最中であり、アジアの平和・世界の平和を希求し、約2万人の京都府民の協賛と230万円の寄付金を集めて作られたそうです。
「日中不再戦」の文字は、当時清水寺の貫主であった、大西良慶氏によるもの。当初の計画では50万円程度の石碑を考えていたそうですが、大西氏に「そんな小さなことを考えるな」と一喝され、当時では大金の230万円の碑になったそうです。

以上二つを見学した後に、観光客に向けた宣伝活動をおこないました。
「折鶴宣伝」・・・一緒に折鶴を作ってもらう。来年の原水禁世界大会へ持っていく。
「署名宣伝」・・・核兵器廃絶を目指して。2010年NPTへ持っていく。
「アピール宣伝」・・・今回のピーチャリ企画と戦跡地図をビラにして配布する。

嫌がられるかな~と不安もありましたが、案外みなさん好意的に協力してくれました。特に戦跡ビラは、観光案内に乗っていないヒミツスポットということもあってか、好評でした。
私は折鶴宣伝に夢中でしたが、小学生が「この間学校で折ったよ」と手伝ってくれたのは嬉しかったです。

昼食は、そのまま嵐山の河原にて。

紅葉が本当に見ごろを迎えていて美しく、出店も多くて、観光客になってしばしの休憩を楽しみました。
                       (後半に続く・・・)
←紅葉と並んで休憩中の自転車たち。

2008年11月16日日曜日

エコバッグ

エコバッグが出来上がりました!
どんなときでも持ち歩いて、「9条」をアピールしましょう!

お値段は、少々お高めかも・・・?
980円です。

どしどし買ってくださいね。

2008年11月15日土曜日

アレン・ネルソン

『若者が戦場に向かうとき 貧困・格差と戦争

ベトナム戦争を経験した元アメリカ海兵隊員、アレン・ネルソンさんのお話を聞きに はるばる向日市まで林、中村、山田の3人で出かけてきました。
アレン・ネルソンさんはNYのブラックスラム街で生まれ育ち 貧しさもあり高校を中退して18歳で海兵隊へ入隊。 アメリカ、沖縄での訓練を経て、ベトナムへ派遣され、 その目でベトナム戦争を見、その体でベトナム戦争を経験してこられた方です。
ベトナムから帰還後、激しいPTSDを何とか乗り越え、 現在各地で自らの体験と思いを話して回られています。

軍隊での訓練は殺人訓練以外のなにものでもないこと。
軍隊は決して“peace keeper”などではないということ。
いかにして戦場で人を殺し、死体の数を数えたか。
彼にとっての戦争の記憶とは、忘れがたい人間の死体の腐乱臭であるということ。
そんな彼に自分達の行為のおぞましさを気づかせる、大きなきっかけとなったのが・・・
この辺りは私なんかの口から語るよりぜひご一読下さい。
『そのとき私の手の中に赤ん坊が・・・』
薄いブックレットなのですぐ読めます。何ならお貸しします(笑)

聞いていて一番胸が苦しかったのは次のくだりです。

当時はベトナムで、今はイラクでアフガンで最前線で戦っているのは
貧困の中に生まれ育ち、進学も就職もかなわず 軍隊だけが新しい世界への突破口と信じて入隊した若者たちであるということ。
それは日本の自衛隊についても同じことだろう、と。
かくて、世界中で戦い、血を流し合っているのは同じ貧しいもの同士なのだと。

軍需産業は、戦争はもうかるという事実があって、
軍人は否応無く構造的に生み出されているという世の中のシステムに激しい憤りを感じます。
戦争はダメだと、言っているだけではとても太刀打ちできない感じですね。 色々と改めて考えさせられた1日でした。

といっても楽しそうに写真を撮り、この後楽しく飲みに行ったんですけどね♪

2008年11月10日月曜日

安齋育郎先生の講演に参加しよう!

来る11月19日(水)18:00より中央病院のリハビリ室で

安齋育郎先生の講演があります。


「今、平和について考える・・・

      ベトナム戦争から学ぶこと」


をテーマに講演されます。


この講演は、尾崎会長が運営するNPO法人の活動報告を兼ねての記念講演です。


昨今、アメリカ大統領の勢力が替わり、何かが変わるかもしれないという希望?が

あるように思えますが、日本にとってはどちらにしてもなんら変わりばえない政権です。

自衛隊の派遣先が少し変わるだけです。

しかも、より危険になるでしょう。


平和について考える。


忙しい日々だからこそ、こういう機会に巡り合って、色んな人の話を聞き、

自分で考えて行動していけたら良いのではないでしょうか?