2011年6月30日木曜日

第4期平和塾開校!

今年も京都民医連の平和塾が始まりました!今回の受講生は12名。民医連歴はナント2ヶ月から7年まで様々。最初に自己紹介兼ねて参加動機を一言ずつ。「1年目は世の中の動きに目を向ける余裕もないくらい仕事しかできなかったけど、せっかく民医連に入ったんだから今年は!」とか「今年原水禁大会行きますが、行って終わりじゃなくて続けられる活動をしたい」とか「うちの病院ちょっと平和活動が下火になってるので自分が盛り上げていきたい」とかとか。参加した先輩の話を聞いててというコメントも多かったです。さすが4期目。ちょっと積み上げてきた歴史を感じちゃいましタ。

オリエンテーション後は公開講座。
★ 大塚一敏さん「長崎から京都、そして福島へ
研修を兼ねたこともあり参加者は100名ちかくいったみたいです。
何回か被爆体験は聞いてきたけれど、原爆被害と原発被害という語り口は初めて。たぶんみんなも初めて。
(以下、私のメモからなので若干あやふやなところもありますがご容赦を・・)
原爆とは、爆発に伴い大量の放射性物質を発生させ、およそ1〜2km範囲内の生物に生命の危険を及ぼすものであり、通常の爆弾とは異なる大量殺人兵器として実用化されたものであり、それに対する防御手段は存在しない。原発とはその最後の爆発を制御する制御棒を有する発電装置である。つきつめればその違いに過ぎないのではないかと。
最近、原発はそもそも軍事目的に実用化されたもので安全なんて二の次なものだって言う話はよく聞きます。大量殺人を目的にスタートしたものがどこをどう押したら安全神話になっちゃたのかな・・・。

話は大塚さん自身の被爆体験へ続きます。
8月9日のあの瞬間。一緒にいた友達をおいて逃げた、自分だけが助かってしまったという思いが未だに消えないこと。「壊疽性鼻炎」という奇病で入院してたった一週間で、30歳という若さで亡くなった弟さんの話。そして長崎で初めて被爆二世の死として、日本中に衝撃を与えた甥御さんの話。
大塚さんの感情を抑えた語り口は却って胸に迫るものがありました。でも一人ひとりの死を嘆き、悲しむ以上に強く感じたのが、何て言うんだろう。怒りと言っていいのかな・・・。
当時、被爆による外傷は明白だったけど、内部被爆の仕組みなんて誰も分からなかった。それをいいことに、半年たって原爆で死ぬべき人間はもう死んだと言い、アメリカ側は集めた証拠をすべて持ち帰り、原爆に関連する発言も禁止した。国内でも科学者は原爆被害は半年程度で治癒すると発言することを強制され、拒否すれば免職へ追い込まれた。それにより、被爆者に対する正しい知識は得られず、「ぶらぶら病」といった偏見だけが植え付けられたと。
その傾向ってぜったい今も続いている気がしてしまいます・・。

甥御さんの死を報じた当時の新聞記事も資料として配られました。そこにあったドクターの言葉がとっても力強かったです。
・・T君の病気が被爆の影響を受けたものかどうかはわからない。しかし担当医のH医長は「放射能障害の遺伝的影響が絶対にない、と証明されるまで、国は被爆二世に医療保護をするべきだ」という・・

被爆者は人間として死ぬことも、生きることも許されなかった。8月9日は生き残った被爆者にとっては被爆の始まりの日でもあった。
大塚さんは最後に、乳癌で亡くなったというお母さんの言葉を紹介してくれました。
「自分の意思で決めなさい。そして間違いのない生き方をしなさい」
ただ一度の人生を、いったい何のために生きるのか。今実際に何が起こっているのかをしっかりと把握し、その上で自分たちは何を成すべきなのかを考えながら生きていってほしい。

温かくも、ずっしりと重い大塚さんからのメッセージでした。
以上、随分長くなってしまいましたが開校式の報告でした。さんざん好きに書いたけど、ちゃんと映像も撮ってあるのでご希望の方は、県連までどうぞー♬

2011年6月21日火曜日

2011国民平和大行進

毎日蒸し暑い日が続きますね。
そんなとてもとても蒸し暑い雨上がりの午後( ´Д`;)
長崎へ向けた2011国民平和大行進滋賀からの引き継ぎ京都入り!に参加してきました。2年ぶり、いや3年ぶりかな・・?最近は男性陣に押しつけてばっかりでしたが、久しぶりに自分で歩いて平和の夏を実感。
今年もやってきましたねこの季節☆
270人か。もっといっぱいいたような気もしたけれど(→記事はコチラ

★市内網の目行進は7月9日(土)★
我らが北区は上賀茂神社からスタートです。皆さまの行政区はどこから歩くのかな。ここから原水禁大会へ向けて企画が目白押し。というわけで皆さま。市役所で、そして長崎でお会いしませう。

2011年6月4日土曜日

第4期平和塾記念講演のお知らせ

あっという間に4期目を迎えた平和塾。
昨年は沖縄社保協事務局長の新垣さんに講師をお願いしましたが、今年もすごいですよー。長崎で被爆の語り部をされている大塚一敏さんという方を講師に迎えての開講記念講演です。
★2011年6月30日(木) 14:30〜16:30
☆教文センター103号
★講師:大塚一敏さん
「長崎から京都、そして福島へ 私たちは微力だが無力ではない!」

・・若いみなさんに、話をきいてもらうことは、被爆の実相が次の世代に継承されることを信じることだし、被爆者に生きる希望をあたえるものです・・→つづきはコチラ

大塚さんは福島原発を踏まえて被爆者としての新たな決意を、残った人生と生命をかけて京都で私たちに話したいとおっしゃってくれたそうです。よく言われるけど、私たちの世代が被爆者から直接体験を聞ける最後の世代だって。大塚さんがどんな思いで今回京都に来てくれるのか、どんな思いで私たちに語ってくれるのか。自分なりに心して聞きにいこうと思っています。勤務の都合でなかなか難しいかとは思いますが、興味がある方はぜひぜひご参加下さい。席に限りがあるので一応事前申し込み制になっています。各事業所にお知らせは回っていると思いますので、ちょっと事務長さんにでも聞いてみて下さいね。