2010年7月29日木曜日

2010原水禁壮行会

毎日暑い日が続いていますが、皆サマいかがお過ごしですか?
かなりブログがご無沙汰になってしまっていましたが・・・
今年も京都民医連の原水禁壮行会やりましたのでご報告を☆★

北の葵会、保健会上京、中央、南ブロック、東の信和会それぞれの原水禁代表参加者が勢ぞろい。たぶんすべてのブロック代表者が揃ったのは初めてのことじゃないかと思います。

沖縄の元民医連事務局長、新垣さんも第3期平和塾の開校式から引き続き参加。尾崎先生もかけつけて開会の挨拶をしてくれました。全体ではかれこれ59人が参加、にぎやかな夜になりました。
吉祥院のピースバンドのメンバーもいつの間にか6人になってたし(笑)

第二中央病院の磯野センセイのチチハル毒ガス被害者健診の話を聞いて、昨年参加者の話を聞いて、加害者の側にその意識がなくとも、戦争の被害、核兵器の被害に終わりは無いのだということを再認識しました。だからこそ私たちの取り組みも夏だけのものに終わらせたらダメだし、なんたってこれだけのメンバーがいるのにもったいない☆

東は師長サンが2名参加の豪華メンバー、中央は新入職員さん中心の若々しいメンバーが多かったように思います。皆サマ体には気をつけて。報告会を楽しみにしています!

2010年5月1日土曜日

4.25沖縄県民大会

『米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会』に参加してきました。会場は沖縄読谷村運動広場。参加者は主催者発表9万3700人。会場へ向かう車で国道は10キロあまり手前から渋滞。熱い暑い沖縄での1日を報告します。

私は前回2008年3月の県民大会参加以来の沖縄でした。
前回の数十倍規模、10万人の大会ってどんな感じだろう・・・。

空港から乗ったタクシーの運転手さん「私も午後から大会に参加します。会場で会いましょうねー」
辻々に貼られた大会参加を呼びかけるポスター。
何だかいつもと違う沖縄の雰囲気を感じました。
全国から集まった民医連職員約60名とバス2台で会場へ。この日は沖縄中の観光バス、路線バスがほぼ出払ってるとのこと。駐車場にずらりと並んだバスはホントに圧巻でした。上空にはたくさんの取材のヘリコプター。

今回の大会、その規模もすごかったのですが、一番すごかったのは県知事(←住民の声に押されて数日前に大会参加を決意したらしいです)をはじめ、沖縄県内41市町村すべての長が参加してたことじゃないかと思います。県外から来た私たちが基地をみて異様だと感じるのは、たぶんたやすいことです。でもその異常が60年もの間日常となってしまっている沖縄で、望んでもいないのに、基地反対派と容認派に二分され続けてきた沖縄の人たちが、ついに一つになって立ち上がった。
沖縄に基地があるのは決して当たり前なんかじゃないって。
去年の夏の選挙で、沖縄の人は何で民主党にそんなに投票するんだろうと正直思ったことがありました。でも壇上からのたくさんの訴えを聞き、「最低でも県外」という公約を掲げた民主党に、どんな思いで沖縄の人たちが投票したのか、分かってなかったなかったのは私だな・・と思わされました。
鳩山さんはこの声をどう聞いていたのかな?
最後の普天間高校の女の子の訴え(4.26付けA新聞に全文が載ってましたね。写真は沖縄タイムスです)は本当に会場にいたみんなの胸を打ちました
「未来は私たちの手の中に!」
今まで選挙のたびに、こういう集会に参加するたびに、これで何か変わるかもしれないって思い続けてきたけれど、今回こそきっと。
以前沖縄に行ったときに聞いた忘れられない言葉があるのです。
「1972年、沖縄県民が独立ではなく日本への復帰を望んだのは、日本が二度と戦争をしないと誓った憲法9条を掲げる国であったから・・」
沖縄の人たちは立ち上がりました。それを受けて私たちがどう動けるか、そこにかかってるんじゃないかと思います。
☆★おまけ★☆

右の写真、集合場所だった沖縄協同病院です。
さすが沖縄。入り口にシーサー♪




2010年4月4日日曜日

新入職員のみなさまへ☆



新入職員のみなさま。民医連へようこそ☆

長い研修お疲れさまでした(笑)

ちょっと平和活動やってみたくなったとき、毎日のお仕事に疲れたとき、たまにはお酒を飲みたくなったとき・・・いつでも大歓迎です。あなたの持ち込み企画が次のピースアクションの企画になるかも。

次回の会議は4/16(金)18時より@医学対分室(荒神口)です。

あなたのおいでを心からお待ちしています☆☆

2009年12月1日火曜日

☆韓国研修レポート③

再び韓国研修報告に戻りますョ(笑)
3日目午後はソウル市内に戻り、三・一独立運動の主要メンバーが在籍、卒業した中央高校を見学後、西大門刑務所跡へ。
日本の植民地時代、植民地政策に対して教育と産業をもって対抗するという派と、武力を頼んで実力で植民地支配を打倒するという派(=義兵)があったそうです。この義兵を捕らえて拷問を加えたのがこの西大門刑務所。ここで命を落とした義兵は何十万とも何百万とも言われているけど、本当のところは日本軍が資料を全て処分してしまったため、誰にも分からないそうです。
当時の拷問や獄中の様子を再現した人形などが館内にはたくさんありました。とても酷い事を当時の日本人はしたのです。それは分かってるんだけど、ここの展示に何とも形容しがたい違和感を私は感じてしまいました。でもそれをコトバに出したらものすごくいけないことのような気がして・・。だから案内をしてくれた韓国の歴史教師チェ先生と通訳のファンさんの次の言葉にとても救われました。
『・・1945年以降は日本の植民地支配に協力した親日派がここに入れられるべきだったのに、終戦後捕らえられ投獄されたのは、共産主義者や軍事政権に反対した人たちだった。この事実に関する記述はここにはほとんどない。色々な記念館に入る際には、是非考えてみてほしい。それはいったい何を記念し、何を後世に残そうとしているものなのかを…』
『西大門刑務所跡は日本=悪魔という構図で敵対的共存(相手の脅威を理由に自らの武装を正当化しそれがさらにヒートアップみたいな・・)を煽る施設。同じように戦争記念館では北朝鮮=悪魔という構図の展示。そうではなく、何故彼らはそんな事をしたのか、何故そんなことが起きてしまったのかをもっと考えさせる施設になって欲しいと私は思っている』
『韓国には戦争記念館はあっても平和記念館はない。戦争記念館をどうやったら平和記念館に変えていけるか。そういう努力をお互いにし続けて、また会いましょう』
韓国の歴史についてはそれなりに知っているつもりでしたが、日本の植民地支配という歴史を持ち、隣に北朝鮮という国をか抱える韓国で、平和運動や政治的な運動をしていくことの困難さはこの4日間で初めて知りました。現政権下で現政権を批判するもの=北朝鮮を利するもの=共産主義者という構図になりかねないこの国で、なお上のような発言ができるこの人たちの信念の強さにすごくすごく感動して勇気付けられて涙が出ました。この人たちに会えただけでも韓国まで来た価値があると思えるくらいに。
左の写真真ん中がファンさんとチェ先生です。ちなみにファンさんとは大阪JBで韓国班(←で同じ班だったグリーン病院の人たちとも再会できたんです☆)の通訳さんとして付いてもらって以来の再会でした。とてもステキな女性ですョ。皆サマどこかで会ったならぜひぜひよろしくお伝え下さい。
何だかまとまりませんが、以上ヤマダの韓国レポートでした。おわり。

2009年11月29日日曜日

平和学校卒業報告☆

韓国研修③をアップする前にナント本日、平和学校を無事卒業してきてしまいました。これはかなり反省デスネ・・・。

今回の全日本平和学校についてざっと報告します。
開講は7月、全国から65名の青年職員が大集合。京都からは紫野ヤマダと中央HPのみっちゃんの2名が参加してきました。ちなみに大阪からは6人も来てたんですョ。2年後は京都からももっといっぱい参加できたらいいな。
開校式では京都の皆にはおなじみ?安斉先生や、伊藤真氏、吉田満三校長先生のお話があり、平和について憲法について、そして日本の加害の歴史、韓国の歴史について勉強しました。
9月には3泊4日でいざ韓国へ。
そして11月、一人一人の、そして班ごとの今後取り組むアクションプランを作成、発表し合って無事卒業と相成りました。
それから勤通大憲法コースの受講、レポート作成なども卒業条件です。なんて書くと大変そうですが、私にもやれたし班の仲間とサポートしあえるし大丈夫です♪
最近はほんとに仕事に追われてばっかりで、だんだん性格悪くなってきたのではないかと真剣に悩んでたのですが、たくさんの事を見て聞いて学んで、そしてそれをたくさんの人たちと話し合ってつながって、とってもいい経験させていただきました。このステキな経験をピースアクションのみんなに平和塾のみんなに京都のみんなにどんどん伝えていきたいし、どんどんみんなにも参加してきて欲しいなと心から思いました。
取り急ぎ、この感動がうすれないうちに・・・。



2009年10月29日木曜日

☆韓国研修レポート②

三日目午前はナヌムの家へ。

大学のジェンダー論の授業で知って以来ずっと行ってみたい場所でした。行ってみたい、そんな軽い言葉を使うこと自体が憚られるような場所ですが。               
「私たちが強要に抗えずしてしまったことを歴史に残さねばならない・・・」韓国で最初に名乗り出た左の写真の真ん中に写っているハルモニの言葉です。
日本では従軍慰安婦、というコトバで知られていますが、ナヌムの家では「従軍」には自発的なニュアンスが含まれていること、また行為の主体を明らかにする意から「日本軍」慰安婦という呼称を使っているそうです。慰安婦問題は①帝国主義と植民地の問題②男女の問題③貧富・格差の問題の3つが合わさって起きたのだと説明を受けました。①は一番分かりやすい構図ですが、その国の中にある格差を利用するという点で③が一番悪質だと思いました。慰安婦にされたのはその国の契約書の文字も読めないような、貧しく教育を受ける機会もなかった女性たちだそうです。朝鮮人が多かったのは、植民地化された朝鮮が特に厳しい経済状況にあったから。声をあげる術を知らない人たちをまず犠牲にし、そして被害者が声を上げられないシステムを作り出す。権力者のすることはいつの時代もえげつないと本当に心の底から腹が立ちました。
右の写真は当時の慰安所の一部屋を再現したものです。暗くて湿っぽくてとても狭い、たらいと布団だけが置いてある部屋。この部屋をのぞき込んだ時の気持ちはどう言ったらよいのでしょう。私は反射的に逃げ出したくなりました。
戦争中は日本軍に強制的に慰安婦にされ、戦争が終わると日本が負けたことも知らされず、日本軍から、そして母国韓国からも置き去りにされた女性たち。故郷に戻ることも叶わず、傷ついた心と体をかかえて戦後の復興の中どんな苦しい思いをして彼女たちは生きてきたのだろう・・。一人の人間として、日本人として私はどんな顔をして彼女たちと向かい合ったらいいのだろうかと本当に打ちのめされたかんじでした。
それなのに、私たちを迎えてくれたハルモニたちはとても優しくて、握ってくれた手はとても温かくて、思わず涙がこぼれそうになりました。
写真のパ・ゴクソンハルモニの言葉です。
「いっぱい勉強してね。日本に帰ってこんなことがあったのだと、二度とこんな悲しいことは起こさないで欲しいと、私が頼んでいたとどうか皆に伝えて欲しい。こんなところまで会いにきてくれて本当にどうもありがとう。みんなで手をつないで。世界が平和になるよう・・・」
ハルモニたちが日本語をしゃべれること自体がまた悲しくて、でも私たちが知りたいと願って行動していることを、心から喜んで応援してくれて、ナンテ言ったらいいんでしょう。今思い出してもまた泣きそうです・・・。
人間の愚かさ、戦争の狂気、言葉にすると何だか薄っぺらくなってしまうけれど、人が起こす戦争はこんな風にいろいろな形で人を深く深く深く傷つける。何でそんな当たり前のことが当たり前に分からない時代になってしまうんだろう。 ソウル市内に戻るバスの中で一同しばし無言、放心状態でした。
つづく。

☆韓国研修レポート①

               
7月から全日本の平和学校に参加させていただいてる紫野ヤマダです。 先月、9月の10~13日にかけて韓国研修に行ってきました。 遅ればせながらちょっとだけご報告。 とても貴重な4日間を過ごしてきたので・・・。

←研修のスタートは日本の朝鮮侵略始まりの土地、江華島から。
不平等条約である日朝修好条規 (韓国では江華島条約)が結ばれた島です。
まっこりで平和に乾杯、ナンテのどかな写真ですが すぐ後ろは有刺鉄線に囲まれた軍事境界線、イムジン川の河口で対岸は北朝鮮という場所です。この写真を撮った直後、小屋から兵士がでてきて写真を撮るなと怒られました。銃を持った兵士に至近距離で怒鳴られて、結構本気で怖かったです。
たった3km先の、同じ言葉を話す民族が家族が友人がいる場所に自由に行くことすらできない。祖国が分断されているという理不尽さが少しだけ分かった気がしました。

2日目はご存知グリーン病院へ。
想像していたほど大きな病院ではありませんでしたが(笑)
ソウル市内唯一のインフルエンザ指定病院らしく、テレビカメラの取材もきていました。インフルエンザ対策で一応マスクをしていった私たちはすっかり注目の的。韓国ではマスクしてる人=病気の人みたいなイメージで、どうもマスクが敬遠されてるらしいのデス。
「労災闘争の末に勝ちとった韓国唯一の病院であることに誇りを持っている・・・」
(その労災闘争の原因が日本企業の東レにあったことを思うと、情けなくて恥ずかしい気持ちでいっぱいです・・・)
患者負担を増やさずにいかに必要な医療を行い、かつ病院の経営を成り立たせるかを考えながら、一人一人の患者さんの困難をその人だけのものとは見ずに、 必要があれば制度や社会へ働きかける。まさに韓国版民医連!とみんなで感動し、勝手にものすごい親近感を覚えてしまいました。
一民間病院でありながら(←ご自身でここを強調してましタ) 労働環境研究所という施設を備え、労働環境について直接労働者へアドバイスや教育活動まで行っていると。
誰の方を向いて誰のために医療活動を行っているのか、ものすごく明確ですよね。
と言っても理論ガチガチではなく、院内の雰囲気はとても穏やか。 看護師さんの制服はストライプでとってもかわいいし、廊下のそこかしこに絵や写真が飾られていて。
ただ病院としてではなく、住民の憩いのスペースとしても活用できたらとの思いから、とのことでした。紫野診療所も憩いのスペースとしては負けてないケド、どうもおしゃれ度が違う気がする・・・(笑)
つづく。