2010年5月1日土曜日

4.25沖縄県民大会

『米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会』に参加してきました。会場は沖縄読谷村運動広場。参加者は主催者発表9万3700人。会場へ向かう車で国道は10キロあまり手前から渋滞。熱い暑い沖縄での1日を報告します。

私は前回2008年3月の県民大会参加以来の沖縄でした。
前回の数十倍規模、10万人の大会ってどんな感じだろう・・・。

空港から乗ったタクシーの運転手さん「私も午後から大会に参加します。会場で会いましょうねー」
辻々に貼られた大会参加を呼びかけるポスター。
何だかいつもと違う沖縄の雰囲気を感じました。
全国から集まった民医連職員約60名とバス2台で会場へ。この日は沖縄中の観光バス、路線バスがほぼ出払ってるとのこと。駐車場にずらりと並んだバスはホントに圧巻でした。上空にはたくさんの取材のヘリコプター。

今回の大会、その規模もすごかったのですが、一番すごかったのは県知事(←住民の声に押されて数日前に大会参加を決意したらしいです)をはじめ、沖縄県内41市町村すべての長が参加してたことじゃないかと思います。県外から来た私たちが基地をみて異様だと感じるのは、たぶんたやすいことです。でもその異常が60年もの間日常となってしまっている沖縄で、望んでもいないのに、基地反対派と容認派に二分され続けてきた沖縄の人たちが、ついに一つになって立ち上がった。
沖縄に基地があるのは決して当たり前なんかじゃないって。
去年の夏の選挙で、沖縄の人は何で民主党にそんなに投票するんだろうと正直思ったことがありました。でも壇上からのたくさんの訴えを聞き、「最低でも県外」という公約を掲げた民主党に、どんな思いで沖縄の人たちが投票したのか、分かってなかったなかったのは私だな・・と思わされました。
鳩山さんはこの声をどう聞いていたのかな?
最後の普天間高校の女の子の訴え(4.26付けA新聞に全文が載ってましたね。写真は沖縄タイムスです)は本当に会場にいたみんなの胸を打ちました
「未来は私たちの手の中に!」
今まで選挙のたびに、こういう集会に参加するたびに、これで何か変わるかもしれないって思い続けてきたけれど、今回こそきっと。
以前沖縄に行ったときに聞いた忘れられない言葉があるのです。
「1972年、沖縄県民が独立ではなく日本への復帰を望んだのは、日本が二度と戦争をしないと誓った憲法9条を掲げる国であったから・・」
沖縄の人たちは立ち上がりました。それを受けて私たちがどう動けるか、そこにかかってるんじゃないかと思います。
☆★おまけ★☆

右の写真、集合場所だった沖縄協同病院です。
さすが沖縄。入り口にシーサー♪