2008年12月20日土曜日

12月の定例会議をしました

12月19日(金)に定例会議を行いました。

メンバーは6人。今日は女性ばかりで、ちょっと女子高のような雰囲気が漂っていました(笑)
(年齢が違うか・・・^^;)

メインは11月に行ったピーチャリの報告作り。

これまではニュースをパソコンで作ったりしていたけど、「みんなで作ろう」ということで、模造紙2枚をつかった力作になりました。

「1時間くらいでチャチャッと作ろう!」と始めたはずが、こだわりにこだわって、完成したのはなんと11時半!
途中で宅配ピザをかじりつつ、がんばりました。
出来た時には、なんともいえない達成感・・・。

ぜひみてらもいたいものです。
1月にデビューさせて平和企画などで掲示してもらうつもりです(^_^)v

2008年12月7日日曜日

「フィリピン戦の実相を語る」に参加して

昨日、京都アスニーで「フィリピン戦の実相を語る」に参加してきました。参加者は120人を超えました。参加者の中には、戦争に行かされた人や、父親が戦死しというひとなどでした。一方で「伝承すべき」私たちの世代は、ほとんどいなかったです。

まずフィリピン戦には、中国を侵略した京都の第16師団も16000人が入りました。元日本兵の証言は「ジャングル戦で、赤痢になったりして、栄養失調になるぐらい悲惨だった」という人や、宣伝部隊として、画家や小説家、マスコミまで軍の命令で徴用されていたことなど、驚くことばかりでした。

次に「フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージプロジェクト」をしているNPO法人『BRIDGE FOR PEACE』代表の神直子さんから、元日本兵たちとフィリピンの遺族の方々の証言がビデオで流れました。ビデオでは、5人ぐらいの元日本兵の人たちとフィリピンの遺族の方々が出てきます。そこには日本の加害の事実を生々しく証言していました。覚えている範囲で紹介します。「現地の教会に行ったとき、女性が出てきました。上官は『刺せ』と部下に命令しました。でも部下はブルブル震えて銃剣を刺せず、上官は『手本を見せてやれ!』と私に命令を出しました。私は刺しました。刺したところから血が噴き出し、女性は天を掴むようにして倒れました」「天皇、軍の命令で強制的にフィリピンに連れて行かれ、戦場では誰が『住民』で誰が『スパイ』かわからないまま、目の前の人を殺していた」「子供を抱いている女性に子供を離させて強姦した」など、フィリピン戦に動員された元日本兵は、加害の事実を、実名、顔出しで話していました。でも60年以上たった今でも「悔やまれる」「反省している」と、心に罪悪感はまだまだ重く残っているようでした。

そういった証言を紙直子さんは、フィリピンの遺族に映像を見せて「誰が悪いのか?」ということでなく、加害と被害の事実、お互いの証言を理解してほしいと言われていました。また若い世代による戦争体験の継承を目指していると。

元日本兵が証言したビデオを翻訳してフィリピンの遺族に見せるシーンがありました。それを見た遺族の方々は「新婚1年目に夫を『スパイ』だと日本兵に連れ去られ、行方不明になった」「裕福だった父を失い、その親族から見放され、母親を支援してくれる人もなく、戦後はずっと貧乏だった」という現状や、一方で父親と兄弟を失った男性は「逆の立場だったら私も同じことをしたかも知れない・・・。」という意見もありました。

最後に、元日本兵が口を揃えて言うのが「戦争が残酷なこと。『聖戦』なんてない。」さらに「それを知らない世代が、憲法を変えようとしている。戦争が1日でも起これば必ず人が死ぬのだということをわかってほしい」と語っていました。被害の事実だけでなく、加害の事実も含めて、後世に伝承しないといけないのが私たちの世代だと改めて思いました。また来年1月の会議で資料等を紹介します。